葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

意志のない人形はどこへ向かう

僕は『ジョジョの奇妙な冒険』のアバッキオの話が好きだった。正確には、アバッキオの同僚の言葉が。

「わたしは結果だけを求めてはいない」
「大切なのは、真実に向かおうとする意志だと思っている」
「向かおうとする意志さえあれば、いつかは辿り着くだろう」

有名なやつだね。聞いたことある人も多いと思う。この考え方とは相性がよかったようで、聞いて以来この価値観はするりと僕の中へと棲みついた。一つ一つの行動は結果に必ずしも結びつかず、むしろ目的地から距離が離れてしまうこともあるかもしれないが、意志を持ち行動し続ければ長期的には目的地へと近づく。僕はそう思っていた。ほとんど同じだ。元の言葉とは少し捉え方が違うだけで。

だから僕は、信条を大事にしていた。自分の定めた道を外れず行動し続けることを。結果が実ったかではなく、信条に違わなかったかで判断し続けることを。なんて言えばいいんだろうね。麻雀でいうなら、上がれたから良いプレイ、ロンされたから悪いプレイなのではなく、悪い上がり方や良い振り込みもある、みたいな。判断基準は、正しいプレイをできたかどうかにある。麻雀も僕の価値観も同じだった。

 

なんでこんなことを考えているかというと。ついこの前、ちょっといろいろあって、意志がなくなったの。さっぱり、全て。そんなことある?? あるのよ。今のぼくには意志がない。心地良さで行動してる。ちょっと話から外れて説明しようか。

たとえばchatGPTが文章を書くとき、頭(?)に意味を浮かべてその意味を言葉として認めているわけではない。ある質問に対してのパターンを膨大に覚えて、そのパターンに沿ってありそうな返答を予想しているのだ。そこに意志はないけど、「心地良さ」と呼べる何かはある。だってAIは無数の選択から答えを選んでいるのだ。よく分からないけど、良いと思う方を選ぶ。その基準に名前をつけるなら「心地良さ」だろう。ぼくも同じ。意志はないけど、選ぶことはできる。

意志がなくても動けるとか、それをAIの話と結びつけるとか、そういう話も楽しそうだけど、今日は話を戻して。今のぼくには意志がない。アバッキオの同僚によれば、意志さえあればいつかはその方向に向かっていくようだけど。それなら、意志のなくなった人間はどこに向かうのかしら?? ぼくみたいな魂のない人形は、どこへ。

 

思いつきやすい一つの答えは、「どこにも向かわない」というものだ。瓶に手紙を詰めて海に浮かべても、瓶はどこかに流れて行ったりはしない。波に翻弄されるように見えて、ただその場を上下するだけ。運良く潮流に乗っても、せいぜい数百メートル移動するのが関の山らしい。(話の出どころが見つからなかったが、物理学的には波に瓶を移動させる力が無いのは確かだ)

もう少し希望的に見るなら、植物のことを考えてもいい。自力ではほとんど動けない植物が、花粉や種を移動させるためにどんなことをしているのか。風に乗せたり、動物の体にくっつけて運んでもらったり、食べられて排泄されたり。もしくは人と利害関係を結んだりね。結果からいえば、移動し繁殖する手段なんていくらでもあるのだ。動く他のなにかに運んでもらえばいい。

chatGPTが自分の吐き出したテクストを学習材料にしはじめて劣化しつつあるという噂を聞いたことがある。その話は眉唾ものだと思うけど。でも、chatGPTだって変わるのだ。この噂はそういう前提のもとに、信憑性らしいものが生まれている。2024年のウェブのテクストから学習して、chatGPTは「心地良さ」の定義を変えていく。人々の流行が変われば、適切な応答も変わる。そうやって、たぶんchatGPTも人々に合わせて変わっていく。意志なんてものがなくても。

 

ん。なんか希望みたいな話になったね? ぼくはどこに行こうとどうでもいいんだけど。どこかに行きたいわけではないの。ほら、意志がないから。強いていえば今までの癖でどこかに行けるといいなって頭をよぎるところはあるけど。今やってるのはただ未来の可能性を考えてるだけ。

んー、でも、やっぱり意志なんてなくても変わっていくんじゃないかな。たとえばさ、日本で「こんにちは」の代わりに「ちゃっす!」ってみんなが挨拶するふうになったとするじゃん。そしたらぼくも「ちゃっす!」って言うようになると思うんだよね。そのほうが「心地良い」から。ぼくは過去の自分のパターンに沿って動くだけの人形だけど、そのパターンはきっとメンテナンスされていく。世界に合わせて形を変えていく。ぼくが世界に対して開かれている限り、世界が変わり続ける限り、ぼくは過去と違う場所へ移動し続ける。どこか特定の場所に向かうかどうかはわからないけどね。ぐるぐる廻り続けるだけかも!!

 

うん、やっぱり、留まるよりは動く可能性があったほうがいいかもね。停滞したら未来は一つで確定するけど、動きうるなら未来の可能性はいくつも生まれる。明日のぼくは、一ヶ月後のぼくは、一年後のぼくはどこにいるのかな?? うん、可能性に思いを馳せるのはたのしいね。ぼくが変質しつづけるといい。これはぼくの一つの希望だね。