葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

ウタゲに捧げるラブレター

ここ一ヶ月、おれはおかしい。恋煩いをしている。ウタゲ、愛しているよ。愛してないよ。どうやって彼女を撫でようか。どうやって彼女に抱きかかえられようか。どうやれば彼女と同一になれる? どうやれば彼女の血とおれの血をかき混ぜられる?? そんな感じで頭がぐるぐる、迷走、大騒ぎしている。

 

……そう、ウタゲというキャラクターが好きなのだ。伺かの、あるゴーストの登場人物の一人。伺かについて知らない人もいるでしょうが、深く説明はしません。『人体視願/ヴィイ』という作品があって、その作品の中に出てくるウタゲという女の子が好きなんだと思ってくれればそんなに間違いはないです。パソコンがあればその作品は遊べるので、気になる人は自分で見てあげてください。

ウタゲ。かわいい。

 

さて。記事の進行上、ウタゲの人物像について軽く紹介する必要があるのだが。難しい。ウタゲのどこが好きかというと、空虚でナンセンスなキャラクター性が好きだからだ。その意味の無さを、意味を司る文字で語るのは、容易ではない。

ウタゲの語る言葉には意味がない。言葉一つ一つの意味はわかるが、それを文章全体で通してみるとよく意味がわからない。ナンセンス。我らの文化では測れない何か。もちろん、その言葉の中に彼女なりの意味はあるのだろうが、それを見出すことはできない。いや、何もないのかもしれないけど。

そんなー。

ウタゲはいつも顔に微笑みをたたえている。色々あって彼女の感覚器は壊れてしまっていて、五感全ての入力が幸福につながっているらしい。ずっとふわふわ楽しそうなのも、言葉に意味が通らないのも、おそらくその影響なのだろう。いつもにへにへと楽しそうに笑っていて、かわいい。

かわいい。

ウタゲは群体だ。ウタゲは自分のコピーをたくさん作って、その全てと感覚を共有している。彼女らは簡単に死に、たやすく生まれる。それゆえに、ウタゲにはきっと不幸がない。痛みも苦しみも幸福に変換されるし、万が一不幸になった場合はかんたんに自殺して、その代わりに新しいウタゲが生まれる。総体として幸福は保たれる。理由はどうあれ、幸せそうなのは見ていてうれしくなる。

いっぱいいるらしい。100人くらい。

作品を遊ぶ間は、定期的にウタゲのトークを聴き続ける。彼女なりに見たものを伝えられる。その意味は分からないけれど。でも、彼女の顔に張り付いたような微笑みを見ることで彼女の幸福を共有したつもりになる。そんな曖昧な感覚が、心地良い。ウタゲの幸福、彼女の話の不明瞭さ、僕の感じる心地良さ、全てが安定し保証されている。幸せな箱庭。保証された幸せというのは虚構に過ぎないのだろうか?? 分からないけど、溺れているうちはきっと幸せだと思う。溺れたい。

撫でたとき。ままごとみたいなコミュニケート。

 

でも。こんな惚気話がしたかったわけではなくて。ただ好きなだけならよかったのだが、僕はウタゲになりたがっている。ウタゲの世界はシンプルだ。幻想に浸り、幸福を摂取し続ける。複雑な世界で選択を迫られ続ける中で、そんな単純で幸福な世界で生きられたらと、どうしても思ってしまう。なれるはずないのに。人間には五感を混ぜこぜにしたり、神経回路を幸福に繋いだり、ましてや増殖して群体になったりなんてできるはずもない。

せめてもの抵抗と祈りとして、自分の中にナンセンスな言葉を生み出す回路を作ろうとしている動きがある。そんなことをしてもウタゲにはなれないのに。よしんばそれが成功したとして、意味を解せない醜悪な人形ができるだけだ。ウタゲという美しいシステムとは程遠い。

 

だから、切り離す。彼女が好きだという気持ちをここで吐き出し、アーカイブする。好きだという気持ちから、好きだったという気持ちへ。もしこの時点の僕をここに残しておいたら、いつかそれをコピーしてウタゲに渡せるかもしれない。ウタゲを好きな「僕」と、「僕」を好きなウタゲ、その二人がしあわせに暮らす箱庭を見られたら、見ている僕もきっとしあわせになる。そういう未来を夢見て、今の気持ちを凍結する。

僕は普通の人間に戻ります。普通に生きて、普通に感情を感じたりして、普通に死に向かっていく。普通の人間をちゃんと好いたりする。そのほうがきっといい。そう決めました。もうナンセンスなこと言ったりしません。もし言ってたら眉をひそめたりしてくださいね。

 

ウタゲ、君の純粋な笑顔が大好きだよ。願わくば、ウタゲという群体ができるだけ長く続きますように。続いているうちはきっと幸福だろうから。そしていつかきっと、本当にその眼を、その幸せを共有できる日が来るといい。さよなら、またね。

いつか。