葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

2024年1,2月の読書記録

最近は少しずつ本を読むようになっている。1月のどこかでTwitterのアプリを消したこともあり、文字をコンテンツにしたくなった時には本を開く癖がついた。時間や余裕があれば物理の本を開くし、数分の空き時間にはKindle電子書籍を読む。せっかくなのでそれらの読書記録を付けようと思う。

というか、「2024年は読んだ本の感想を認めていくぞー」と思っていたのに、読書記録メモにはタイトル以外全く文字が見受けられない状態になっているので、いま癖を付ける。付けるぞ。あ、2023年版もあるのでよかったら見てください。

indigomou5e.hatenablog.com

 

(注:以下、全てのあらすじはAmazonから引用しています。あらすじを書くのが苦手なので。)

(注2:たぶんネタバレはないと思います。その分ふわっとしたことしか書けないけれど……)

 

プロトコル・オブ・ヒューマニティ』長谷 敏司

身体表現の最前線を志向するコンテンポラリーダンサーの護堂恒明は、事故で右足を失いAI制御の義足を身につける。彼は、人のダンスとロボットのダンスを分ける人間性の手続き(プロトコル)を表現しようとするが、待ち受けていたのは新たな地獄だった――。

SF×コンテンポラリーダンス。これらをテーマにするというのは面白そうだと思って読んだが、第三のテーマがあった。認知症である。主人公は事故で右足を失い、AIによって制御される義足に苦戦しながら踊りを続けるのだが、それと同時に父親が認知症になってしまう。偉大なダンサーだった父親が話の通じない相手になっていく。義足により身体が思う通りに動かないことよりも、認知症に苦しんでいる描写のほうが多く感じたくらい。

正直言って、この「認知症」というテーマがピンと来なかった感じがある。実際に自分が認知症の進んだ人間と関わったことがないのもあるが、「認知症が進んで別人のようになった親とも関わっていかないといけない」という考えに自分はなれないと思った。興味ないと思った相手には全く関心を失うし、そんな相手と無理やり付き合う筋肉を持っていないので、もしそうなったときに自分がどう思うかがあんまり思い浮かばない。主人公の兄が父親の介護を煩げにすっぱり拒否するシーンがあるが、たぶん僕はむしろそっちだ。家族につき合う気持ちにあまり乗れない。

認知症と義足、「自分の思い通りに自分の身体が動かない」ということを表した二つのテーマが最後には上手く重なり合うのだが、認知症にあまり乗れなかったせいで存分に楽しめたかというと少し疑問だ。乗りたかったな。でも舞踏公演のシーンは良かった。自分の思うままに行かない部分が長かったので、その分の反動もあって気持ちよかった。

たぶん数年後にまた読む。その時はまた別の価値観を手に入れていて、別の読み方をするだろう。きっと。

 

夏への扉ロバート・A・ハインライン

ぼくの飼い猫のピートは、冬になるときまって「夏への扉」を探しはじめる。家にあるドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。そして1970年12月、ぼくもまた「夏への扉」を探していた。親友と恋人に裏切られ、技術者の命である発明までだましとられてしまったからだ。さらに、冷凍睡眠で30年後の2000年へと送りこまれたぼくは、失ったものを取り戻すことができるのか──新版でおくる、永遠の名作。

SFの名作と名高いやつ。読みやすく、ちゃんとストーリーの読むべきところがすらすら入ってくる。おもしろい。タイムトラベルもののよくある感じっぽいけど、たぶん逆で、これを真似てタイムトラベルもののお決まりが生まれたんだろうな。猫がカワイイ。いろいろあって猫が出てこない部分も多いのだが。フレデリカとお話するシーンで普通に泣きそうになった。離れたくないのに離れないといけなくて、そこでちゃんと離れられるのすごすぎ。

さて。しかし。読むのは初めてだし、文章に既視感はないのだが、なぜか全ての展開が見えてしまった。クリア済みのRPGのように、次どうなるかが思い浮かんでしまう。覚えてないけど、Wikipediaであらすじでも読んだか。とある理由で夏への扉のあらすじを知りたいと思いそうな時期があったから、きっとそのタイミングなのだろう。皆さんは「どうせ読まないだろ」と思ってWikipediaのあらすじを簡単に開いたりしないように。読むので。

 

ハクメイとミコチ』12巻 樫木 祐人

こんなに長く一緒にいても、まだ発見があるなんて。

“可愛い”イベントに、ハクメイが強制参加! 港町の古株、「小骨」のマスターが突然の休業? コンジュ&センが料理に大奮闘! 長く一緒にいた仲間たちが、お互いの「まだ知らない顔」に驚き、ときめく第12巻。初登場時に熱狂的な支持者を生んだ黒ミンクの刃物職人・ハルシナも再登場します!

漫画だよ。漫画も本だよ。この漫画はずっと好きなのだけれど、年々日常を描くのが上手くなっている。突飛なことが起きるわけではないけれど、昨日までとは少しだけ違うことが起きて、その小さな変化の積み重ねで気付くと昔と違う道筋を歩いている。そういうプロセスが日常だと、この漫画は教えてくれる。*1

12巻は対比が魅力的に描かれていた。思考の癖の全く違う二人のキャラクターがお互いの行動や価値観に対してそれぞれどう思って、その結果どんな感情が生まれたり、どんなふうに自分の考えを変えていくか。誰かを良いなって思うのは基本的に自分にないものを他人に見た結果だと思うけれど、その差異をうまく見出して器用に描いている。ハイコントラストによる人々の大きな感情が、すき…… あとついでに小さい生き物と大きな生き物の対比も多かった。これはとっても個人的な嗜好だけれど。キュウリがスイカみたいな太さになるのって、なんかとってもエロくてよい。フェティシズムの話は誰も付いてこないからやめな。

 

『同志少女よ、敵を撃て』逢坂 冬馬

独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?

タイトルと表紙絵で嫌厭していたのだけれど、友人に強く勧められて読んだやつ。だって、女性のことを「少女」と呼んで戦場に放り込むのって、なんか女性のこと舐めてるっぽいじゃん。なんか一方的に見た女性像で描いてそうというか。でも開いてみると女性に向けられる視線などをちゃんと踏まえていた。なんならその視線を逆手にとって利用するシーンも多かったし。杞憂だったっぽい。タイトルで損してるのでは。このタイトルに惹かれる人は逆にピンと来ないだろうし。そんなことないか。斜め読みもできる作品っぽい気がするし。あ、でも第二章だけ萌え萌え百合漫画なのはなんなの。それは本当になんなの。『がっこうぐらし!』が始まるのかと思ったよ。

闘う女性の姿をよく描いていると思うが、だからこそ根本的なところでこの本と僕は対立するなと思った。現在の男女の役割論に切り込んで、もっと適切なジェンダーの姿を提示するのはけっこうなことだと思うのだけど、そもそも男女を分けてそれぞれに何らかの理想像を持たせること自体が良くないのではと思ってしまう。僕は男も女もそれ以外も全部その境界線を取っ払って可能な限り曖昧にしたいと思っているらしい。かなり理想主義者だ。過度に理想を追い求めているのは自覚している。ジェンダーに対する問題意識が低くて理想を語るのは、僕が男性の身体で生きているからかね。そんなことを思ったりした。

読んでて気持ちいい本ではあったが、なんか気持ち良すぎる気もした。語り手の視点がたびたび変わって、多くのキャラクターに感情移入しやすくなってるのはちょっと好みじゃないかも。キャラクターに抱く感情が、良くも悪くも巧妙にデザインされている。自分の抱いた感情が自分由来のものか誘導されたものかが分からなくなる。それはちょっと不安かも。親切なら親切で文句言うのは贅沢ね。

 

ゾウの時間 ネズミの時間 サイズの生物学』本川達雄

動物のサイズが違うと機敏さが違い、寿命が違い、総じて時間の流れる速さが違ってくる。行動圏も生息密度も、サイズと一定の関係がある。ところが一生の間に心臓が打つ総数や体重あたりの総エネルギー使用量は、サイズによらず同じなのである。本書はサイズからの発想によって動物のデザインを発見し、その動物のよって立つ論理を人間に理解可能なものにする新しい生物学入門書であり、かつ人類の将来に貴重なヒントを提供する。

新書も。ずっと小人とか巨人のこと考えてるのに、この本を読んでないのはフェイクだなと思って。ネズミ、ヒト、ゾウ。体のスケールが異なると、その体の構造や行動にはどのような影響が出るのかが色んな側面から描かれている。心拍数、食事の頻度、寿命、移動の方法、骨や四肢の太さ、果ては循環系の構造まで、動物の身体はそのスケールによって決まる部分がたくさんある。スケールが違えば生き物としてのルールは全く異なるのだと思わされる。ネズミの心拍数が600~700って、それだけで"良い"よね。それくらい身体のルールが違うなんて。もしかしたら小人も巨人も、思ったより話が通じないかもね。常識が違いすぎて。

そういう面白さもあったけれど、僕が小人になりたいという夢は逆にかなり砕かれてしまった。ヒトの身体はそのスケールに適したものであるが、逆に言えば身体の形はスケールに強く制約されている。つまり、ヒトがその人体構造のまま不思議の国のアリスのように小さくなっても、きっとどこかが物理的に故障を起こしてしまうだろう。かなしいね。小人にはなれないらしい。そもそも質量保存の法則がある?? 知りません。そういう夢のない話は嫌いです。

 

華氏451度』レイ・ブラッドベリ

華氏451度──この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。451と刻印されたヘルメットをかぶり、昇火器の炎で隠匿されていた書物を焼き尽くす男たち。モンターグも自らの仕事に誇りを持つ、そうした昇火士(ファイアマン)のひとりだった。だがある晩、風変わりな少女とであってから、彼の人生は劇的に変わってゆく……本が忌むべき禁制品となった未来を舞台に、SF界きっての抒情詩人が現代文明を鋭く風刺した不朽の名作、新訳で登場!

思ってたような本じゃなかった。別に悪い意味ではないけれど。ハードなSFだと思ってたけど、あんまりSFSFしてないし、何なら詩的な印象が強い。詩というものは意味が捉えづらくて苦手だ。その上、アメリカの文化や文脈を前提にして描かれている感じがする。起こったことや感情の概要は分かるが、表面だけしか撫ぜられない感じ。日本人には理解しがたい本なのでは。ちゃんと読めたって人いたらどんな風に目に映ったのか教えてください。

……聖書くらい読んだ方がいいのかな。比喩的にも何度も読んでいる自分の大事な本のことをバイブルと言ったりするけれど、その感覚が分からないとこういった本は読めなさそう。「文化として聖書がどんなものかを知るべき」ということと「人が自分のバイブルと定めた本にどんな感情を抱くのか知るべき」ということを同時に語っています。ややこしい。どちらの意味でも"バイブル"というものを知りたいかも。

 

『恥知らずのパープルヘイズ』上遠野浩平

“組織”の新ボス、ジョルノに対する忠誠心を試されることになったフーゴ。かつてのボス、ディアボロとの対決を前に、仲間たちと袂を分かった彼に対して“組織”が求めた贖いとは、逃走中の裏切り者“麻薬チーム”の抹殺任務に就くことだった……。上遠野浩平が描く「一歩を踏み出すことができない者たち」の物語。

アニメで見ていたジョジョ5部が面白かったので。落ち着いてゆっくり時間が流れる小説というメディアになると、スタンドの描き方も全く変わってくるね。言葉で説明してくれるからその意味合いが直接頭に入ってくる。

やってることはバトルだが、その人格とスタンドの関わり合い、そしてそれが持ち主の生き方をどう変えていくかという面ではだいぶ4部っぽい。僕は4部が好きなので、これは誉め言葉です。5部に足りない日常性をうまく補ってくれている気もする。もうちょっとたくさん読みたかったな。ちょっと短いのが残念。物語的に過不足はないのでこれは我が儘です。

いろんなスタンドが出てきて、その数だけ人の生き方というのがあって。それを見せられた結果、読んでいる自分の生き方も問われている感じがする。わかんない。だって僕のスタンドはほとんど他人に影響を与えられないし。そんな中で自分の世界での生き方と言われても。まあスタンドに向き合うしかないか。フーゴもパープルヘイズと向き合ったしな。そんなわけでこの本はまた読むことになりそう。

 

『裸者と裸者(下)』打海 文三

両親の離婚後、月田姉妹は烏山のママの実家に引越し、屈託なく暮らした。そして応化九年の残酷な夏をむかえる。東から侵攻してきた武装勢力に、おじいちゃんとおばあちゃんとママを殺されたのだ。十四歳の姉妹は、偶然出会った脱走兵の佐々木海人の案内で、命からがら常陸市へ逃げ出した。そして――戦争を継続させているシステムを破壊するため、女性だけのマフィア、パンプキン・ガールズをつくり世界の混沌に身を投じた――。

番外編。番外編というのは、既に4回くらい読んでる本の読み直しだからです。前に読んだのはたったの4ヶ月前だし。電子書籍で好きな本を買うと、何も新しい本を読めそうもないけれど時間が空いた時に少しずつ読み進めることになります。これが僕の"バイブル"かも。

軍記ものだけど、あまりミリタリーには興味がなくて。弱い存在が世界に適応していく姿が好きで読んでいる。主人公は戦争孤児たちで、上巻の主人公は軍隊に入り、下巻の主人公はマフィアを作って、生き残りながら世界のシステムを変えようとする。ちょっと運が良すぎて英雄譚すぎるところはあるが。たぶんこれを読みなれてたから『同志少女よ、敵を撃て』の形に慣れなかったのだと思っている。『裸者と裸者』は性別もセクシャリティーも人種も全部の垣根を取っ払おうとしているから……

どちらかというと下巻をよく読んでいる。下巻の主人公のほうがよく分からないから。混沌で、奔放で、でも明確に許せないこともあって、何回読んでもその信念を正確にトレースできない。その生き方の軽快さや、混沌に身を投じる感じはきっと僕の中に眠っている何かを紐解く鍵になると思うのだが。彼女らくらい自分の欲望に身を委ねられるといいですね。祈るな。動け。この本から何を学んだんだよ。

 

 

よし。書きました。えらいね。この感じで一年積み重ねられるといいですね。あ、オススメの本は常に募集しています。最近はそこそこのペースで読めているので、たぶんどこかで消化できると思います。適当にDM送ってくださいね。それでは、また。

*1:何も起きないゆるい漫画を「日常系」と言うけど、「日常系」というのはハクミコのような漫画に与えられるべきだと思っている。そういうキャンペーンを一人でずっとしています。