激ネタバレ記事です。序盤の文字数(記事紹介で引用される)を稼ぐために関係ない話をします。飛ばしてください。初めて映画をIMAXで見たのだけど、画面大きくて綺麗ね。色々見てみたくはある。大阪まで行かなきゃいけないけど。でもたぶん僕は普通の映画でも没入しちゃうから無理して見なくてもいいかもなとも思った。こんなところで文字数は良いか。
↓↓↓スクロール↓↓↓
『君たちはどう生きるか』を見て思ったのは、僕にはわからないなということ。そして、わからないながらにも、宮崎駿ってこれから死ぬからこの作品を作っているのだなあということだった。
僕には「良い映画」を見たときに起こる現象がある。観客に伝わるよう慎重にデザインされた情報が波状攻撃的に押し寄せ続けた結果、普段脳の中を占拠しているノイズが流れ去り脳が解放される感覚になるのだ。細かい感覚の描写は関係ないので省略する。映画館でしかそれは起こらないし、下手な映画でもそれは起こらない。そういう意味で、「良い映画」の「良い」の基準は映画においての情報を伝える基本テクがちゃんとあるか、そしてその結果(個人的な相性なども含むが)僕が没入できたかどうかなのだろう。
『君たちはどう生きるか』において、その「良い映画」の没入はないまま終わった。ストーリーの章分けをしたときに、章がまとまらないまま次に進んだ感覚を感じたし、世界観や状況の説明もかなり省かれていた。ミクロな切り出しでは把握できるが、マクロでは何が起こっているかわからない感じ。波状攻撃がないように感じた。「良い映画」ではなかったのだ。
しかし、「良い映画」ではないならなんなのだろうか。考えられるのは以下の三つである。
- 映画ではあるが良くはない
- そもそも映画ではない
- 「良い映画」の条件は満たしているが僕の読解力が足りなかったり相性が良くない
1は流石にないだろう。宮崎駿も人だし耄碌はするかもしれないが、映画という一人ではできないプロジェクトが立ち上がってる以上、耄碌したから出来が悪かったですてへぺろなんてことはないだろう。信頼がある。
3はあるかもしれない。すごく説明がうまくつく説で気味が悪いが。(自分に納得をいかせるための筋が一応通った説明ってしがちでこわいですよね)
しかし、なんとなく僕は2な気がしている。『君たちはどう生きるか』は映画ではない。僕は映画の見方に詳しくないが、映画の文脈で読み解いてもあまり先に進めない予感がある。あまりにも一般的映画からの乖離を感じた。宮崎駿は何かを伝える手段として映画の常道を捨てたのではないか。どちらかというと個展に近いものを感じた。なんというか、個々のシーンの連なり方が個展っぽい。そしてそれは連なって暗号化された私信になる。
『風立ちぬ』はストーリーもメッセージもわかりやすいものであった。情報の全てが美しくデザインされ、メッセージは消化しやすい噛み砕かれて口移しされた。同様のこともできたはずなのにそうせず情報の詰め込み(およびそれによる暗号化)をしたのはなぜかというと、可能な限りを伝えて残そうとしたからと思ってしまう。
何か読み解けない暗号化されたメッセージがそこに蠢いている。それが観ている時の感覚だった。そして同時に思ったのは、宮崎駿もいつか死ぬんだなあということ。友人が「この映画は遺書だ」とあとから言っていたけど、その表現がすごく適切にはまる。全てを出し切ろうとしている感覚があった。
それだけに、分かりきれなかったのが少しかなしい。何度か見返せばよいものでもないだろう。個人的には作品と作者のパーソナリティを分けて考えがちなのでそことの不和もありそう。
でもいつかわかる日が来るとよい。映画は残るから。ありがとう宮崎駿。とはいえ、これでまた大作映画作る可能性があるから少し笑ってしまう。もう無理な気もするが…
ちなみに、一緒に見に行った友人はメッセージを受け取ったみたいで感動していた。一人でもそれが伝わることができたのならそれは本当に良かったことだと思う。希望だ。僕がメッセージを読み取れなくとも、発信が行われて誰かが受信したということが成立しただけでそこには希望がある。よかったね、宮崎駿…
ちょっと書いてみたけどあんまり多くのことは書いてないな。そもそも分からなかったし。でも、分からなかったけどそこに深遠なものがあることが分かったことと、分からなくても遺書であることが感じられたことは面白かったのでそれだけはやっぱり書き残しておきたい。でもやっぱり読み解きたかったな。宮崎駿力(りょく)って今からでも上げられる? とりあえずナウシカとかもののけ姫とかちゃんと見直そう。DVD再生する機械がありませんが…