葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

20230708日記

街中へ行く。一番の目的は府立図書館で『性食考』を借りることだった。とりあえず達成したのでよかった。実は大学以外の図書館を利用するのは初めて。定期的に何か借りれたらいいですね。遠いのが難だが。

そのまま新京極や祇園を歩いてコラージュ用の写真を撮る。ほとんど何も撮れずに終わって少し焦っている。いや、撮ったんだけど、なんかおんなじ構図ばっかりでつまんない。幻視幻視言いながら実際には何も見えてないじゃんかよ。自分責めるの禁止。少しずつ上手くなっていこうね。それはそれとして祇園は人多すぎる。何か撮る感じではない。そもそも観光地的な雰囲気が強いので日常の写真とはなんか違う。カフェとか入ればいいのかしら。

しかし、この前友人と回った時は「友人といると普通に友人と楽しんでしまって幻視するキャパがないなー」と思ったのだが、一人で回るとそれはそれで自分しかいないのでワンパターンになってしまいがち。他者の動向に身を委ねる感じをなかなか出せない。インプットが少ないのかね。

 

描きたいものがないなあと思う。致命的。正確には描きたいもののパターン数が少ない。自分の底が浅くて憂鬱になる。見つめながら成長していくしかないのか。とはいえ、苦しいよ。

 

帰ってきてからは疲れてゲームしてた。今日はDead by Daylight。分かってきたけどテンパるゲームだいたい苦手だな。一瞬でいろんなことを考えなきゃいけないと脳がワーッてなって反応が著しく遅れる。格ゲーもシューティングも鬼ごっこも、無理!!

 

『性食考』を読む。とりあえず2章まで。思っていたより民俗学の本っぽい。2章はずっとフォークロア内での人間と動物の異種婚姻の話をしていた。食べる話は? まあ性の話をするターンなのだろう。民俗学はあんまり乗れないのでちょっとだけ退屈。何かを思うきっかけはたくさん入ってたけどね。

食べられることを望むのは「強きものが弱きものを食らう」という流れの中に自分が組み込まれていく気持ちよさがあるからなのかもなとか思ったり。シンプルに強大な存在に完膚なきまでに負けたいみたいな思いもあるけど。とはいえ、弱肉強食の理(ことわり)自体がすごく強固で抗い難いもので、食べられるということは食べようとする側に負けるだけでなく理にも従うことになるわけで、食べられる行為が自分の矮小さを二重に表すことになってるのかもなと思ったりした。

 

The Nothings of The North

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