葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

潜水と具現化とテロリズム:創作についての自分語り

この記事はサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2022の2日目の記事です。

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昨日の記事はまりるさんの「理想の###プラン」でした。

 

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この前、友人と話していて、「墨鼠さんはどうして創作をやっているんですか?」と聞かれた。当然のごとく答えようとしたが、思いのほか言葉に詰まる。「描きたいものがあるから」と言おうと思ったが、それはトートロジーというか当たり前だ。お腹が空くからご飯を食べる、というような。なぜそれを描かなければいけないのか、それを描くのは自分でなければいけないのか。その辺りを何も説明できなかった。

 

そもそも絵を描く必要なんてないことの方が多い。世の中には他に楽しいことがたくさんある。美味しいものを食べるとか、ゲームで他の人を出し抜いて一番になるとか、友人や恋人と楽しく過ごすとか、そういったことを差し置いてまで絵を描く理由を答えないといけない。最近はお絵描きのAIが出てきているし、それでなくともイラストレーターなんて掃いて捨てるほどいるのだから、そんな中で自分が描く理由というのも必要になってくる。

それらのことよりも絵が楽しいとか、絵を描くことで人とコミュニケーションを取れるだとか、そういう理由も考えられるけれど、自分にはあんまりあてはまらない。自分にとっては、おそらく描かないと自分で自分が分からないという面がある。自分では自分の考えていることのシルエットがぼやけたり一部分ずつしか見えなくて、そんな感情の輪郭を明らかにするために具体的な生成物として出力している。生成したその作品をじっくり丁寧に撫でていってようやく自分のことが分かる。

自分の意識に深く潜って、息苦しさを耐え忍びながら何かを探し、持ち帰る。その繰り返し。「絵を描いたから見て!」という風に外に向けたような言葉を毎回口にしているけれど、実は意識としては外向的な面より内向的な部分が大きい気もする。

 

例えば、僕がよく描いている猫耳の女の子はマイノリティの象徴として描かれている。かわいいけれど、人間と存在を異にすることが一目瞭然な猫耳。それがあるゆえに人間にはなりきれないし、人間の体をベースにしているから猫にもなりきれない。そんな微妙なアイデンティティを持つ存在がどうやってそれを受け入れるかを描くことで、自分のマイノリティによる問題に当てはめている。

黒猫の悠梨は猫にも人間にもなりきれない苦しみの中で、「自分は猫でも人でもなく、自分自身がアイデンティティだ」と虚勢とも開き直りともいえる態度を貼り付けて生きている。白猫の鈴は逆に自分を捨てて、飼い主の想定する飼い猫像にアイデンティティを作り変えている。メイド服を着てるのは飼い主が鈴に白猫メイドを望んでいるから。アイデンティティを自分の外に置くことで鈴は安定している。

彼女らがこの世界の中でなんとかやっていってることは自分にとって大きな希望になる。自分が困難な選択を迫られたとき、彼女らならどう選択するか、彼女らならどう立ち向かうかを考えて、それを励みにしながら自分も困難に立ち向かう。彼女らは僕の友人であり、同士だ。

彼女らが何をするかも大事だけれど、彼女らが彼女らであるところに何を見出すか。それがどのように希望なのか、それと向き合うために猫耳少女のような特殊な人間を描いている。時には深く潜ってまで取ってきたものが求めていたことと違うこともある。その違和感も含めて、自分が何をしたいかを汲み取る材料なのだ。

 

 

とはいえ。内向的とか潜水とか格好つけているけれど、単純に皆にチヤホヤされたいのもある。自閉症だから僕が好きな絵はみんなが好きだと考えてる。いいねしてくれないのは単に目に入ってないからだとさえ思っている。そう驕るには全然画力が足りないんだけどね。

今作ろうとしている創作は、まさにその驕りをもとにして作ろうとしている。自分の中にある蠢く欲望や感情を現実に本当に存在すると皆に錯覚させるために次の媒体を模索している。具体的には3Dモデルを現実の写真に合成して、悠梨や鈴や巨人がこの世の延長線上に本当にいるように思わせられたらいいなと思っている。僕の幻視を伝染させたい。道は困難だけれど、僕の中身をできるだけ効果的に世界にぶちまけるために毎日頑張っている。よかったら僕の傲慢を応援してください。

 

 

ちょっといろいろ書いてとっ散らかってしまった。結局、自分が絵を描いている理由ってなんなんだろうね。色んな欲望が渦巻いている。自分のことを分かるためって言っているけれど、その行為の仔細すらよく分かっていない。もがく。もがきながら欲望を形にして、それを見ながら本当にそれが自分の欲望だったのか、差があるならそれはどんなところかというのを掴もうとしている。掴もうと深く潜るって何かを作り出すし、あわよくばその渦巻く混沌を他人にぶちまけたいと思っている。テロリストじゃん。そのために苦汁を舐めながら自分の欲望を出来るだけ正確にアウトプットしている気がする。

うーん、描いていて思ったけど、おれ創作思ったより好きだな。これまでも頑張っているつもりだったけれど、もっともっと純粋に温度を上げて取り組んだ方がいい気がするね。がんばるぞ。皆は何が出来上がるか震えて待ってな。もしくは一緒に横で愚直に走ってくれ。そういう同士は常に募集しているから。よろしくな。

 

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明日はあかん子さんの記事の予定です。お楽しみに。