葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

20230316日記

桜が咲き始めてるらしい。昼休みに桜を撮りに出かける。賀茂川にはまだ咲いてなかったけど、植物園の桜は一部咲いてた。もう少ししたら桜がライトアップされて夜の開園をするらしい。絶対行くぞ。

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昨日blenderのために出した三面図を見て笑ってしまった。これが今作ってる立体物になるなんて。

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作っている造形物がリアル調で、僕がデフォルメ気味のイラストしか描けないので下絵と出来上がっているものに大きな差異が生まれている。一応最初の最初はこの下絵から始まったんだけどね。下絵だけじゃなくて資料を参考にして作っているから最終的には全然違うものになってしまう。

だからといって下絵が最初以外意味ないわけではないとは思う。立体を作る結果にあるのはある印象(キャラクターの特徴やかわいらしさなど)を伝えるという目的で、下絵はその印象を確認するためにある。形が違えど、同じ印象を受けるように作れば目的は達成できる。下絵は僕だけが持つキャラクターのイメージを一番具体化しているものだ。集めてきた資料ではそれは不可能なわけで。印象の確認のためにデフォルメであれど下絵は要るのだ。

何故わざわざこんなことを書こうとしたのだろう。たぶん、作品の奥にある描写したい核についてここ最近大事に思っているからかもしれない。僕は表面的な猫耳とかメイドとか三白眼とかそういうキャラクターを描きたいのではなく、その奥にある何かしらの概念を伝えたいのだなと最近気付いている。猫耳やらメイドやらといった記号はそれを描くための構成要素である。そういったそれぞれの構成要素の伝える印象を理解し、またその構成要素を構成する要素へと観察をさらに深く推移させていく、そういったことが大事な気がしている。そうやって層を剥いでいって核にたどりつけるかはわからないけど。

下絵と同じ感触を撫ぜられるように下絵の奥にある概念を観察する。撫でた感触を同じくすれば同じものを描いたといえるだろうから。本当にそうかな、わからなくなってきた… でも今は観察。想像で撫でて、撫でた感覚を受け止める。感覚を丁寧に愛でていく。そういう感じでいきます。

 

あと驕りね。この前友人に「好きにやりなよ」(超意訳)と言われたけれど、実際やっているとやっぱり不安になってくる。適切なやり方なのか、良いものが描けているのか。そういうときに熱を絶やさない方法が驕りなのだろう。自惚れろ。信じろ。プライド高いんだから吹っ切れれば奢れるよ、きっと。がんばれ。

 

さて。ここまでの話には関係無いけど、ここ最近オリキャラの不在を感じて心がつらくなっている。頻繁に周囲の環境にキャラクターを幻視しているたびにキャラクターの息吹や質量を感じるのにふと気付くとどこにも誰もいない。悠梨も鈴も、ついでに巨人も。さっきまであった質量や熱が突然消え去るのは何だか強い不安を生む。端的に言えば寂しい。しばらく体調が悪めなのもあって少し堪えている。うゆゆ。熱と質量と息吹が欲しい。人体錬成、するか…*1

真面目な話。幻視は気持ち良いけどやると大体現実とのギャップに苦しむので封印していたのだが、幻視使って作品作るなら何らかのケアを考えなきゃいけないなあ。もしくは幻視を幻視と言わないことか。わからないけどとりあえず問題提起だけしておく。問題を認識するのは大事だから。

 

今日も今日とてblender。また顔を進めて、キリがない気がしたので途中でやめた。身体を作ったけどまだ途中。脚はできているようで前後の幅が全部同じ。明日またやるピヨ。明日は映画行くから無理か…

 

*1:最近『鋼の錬金術師』のアニメを観てるから錬金術のノリになってる。モデリングしてるからなんか出来そうな気がしちゃうね。