猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

ふわふわ性自認やめた

この記事はサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2021の一日目の記事です。

 

 こんにちは、はじめましての人ははじめまして。墨鼠です。

 今年もサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダーが始まりました。

adventar.org

 

 これまでも毎年裏方で記事集めやリマインドのお仕事はしていたのですが、今年はトップバッターで記事を書くことになりました。よろしくお願いします。

 今年は通常通りの「自分語り」テーマのほかに「あなたがサークルクラッシュ同好会に参加した/所属している理由」もテーマとして用意してみました。Discordがメインの活動場所となったことで様々な方がサークルクラッシュ同好会に関わってもらえるようになりました。関わる人が多ければその理由も十人十色だと思うので、ぜひあなたなりのサークルクラッシュ同好会に所属する理由を聞かせてもらえればと思います。
(その二つ以外のフリーテーマでも大丈夫です。語りたいことがあれば何でも語ってください!)

 

さて、本当は新テーマの方で書くべきなのかもですけど、書きたいことが自分語り寄りだったので「自分語り」テーマで書こうと思います。それでは、どうぞ。

 

ふわふわ性自認やめます

 タイトルの通り。性自認を曖昧にしてきたのをやめてできるだけ"男性"として生きていこうと思っている。

 ジェンダー規範の緩いサークラでこの話をするかどうかは少し悩んだけど、サークラだからこそ話そうと思う。要は規範に乗ること、多様性の中で生きることそれぞれの利点、欠点を考えて規範寄りに生きてみるのもアリかなと思ったという話。

 

性別不明は楽

 今までは自分に性別があるのがちょっと嫌だった。

 自分がどの性別だといい/嫌だというのはあまりない。でも、自分の性別を一度決めてしまうと選んだ性別に生き方をある程度固定されてしまう。自分が男性だと決めた瞬間に男性的な生き方、ファッション、言動を身に着けることが望まれ、他の人間とは男性というロールのもとに関わらなくてはいけなくなる。

 性別のしがらみを面倒に思っていた大学生のころの自分にとって、ジェンダーの知識や歴史を学ぶ中で聞いた「自分の性別を自分で決めてよい」「生き方を男/女の二択以外から選んでもよい」という言葉はひどく甘く聞こえ、ここ数年はずっと性別の臭いを消すように努めて生きてきた。

 男ではないから、女ではないからという理由で自由に行動できていたのはとにかく楽だったし、そこには広い可能性が見える。自分は自分でしかないから何をしてもよい。しがらみがないことはそれだけで安心できた。

 (ところで、自分の性別を決めてしまうとそれ以外の性別ロールができなくなるという話をしましたが、"性別:無"を選ぶと男性ロールも女性ロールも選べないことに最近気付いたりしました。世の中よくできていますね。寓話か???)

 

自分を型にはめるということ

 そんな僕も大学を卒業して今年4月から社会人になった。

 同期や上司とコミュニケーションを取るうちに気付いたが、人間はみな自分をある程度キャラクター化して他人にアピールしコミュニケーションをしている。部活/サークルは何だったとか、趣味は何だとか。しかもそれらはよく聞くサークルや趣味しかない。そこからはその人固有の性質はあまり読み取れない。

 はじめ僕はそのつまらなさに愕然としたのだが、広い人間とある程度の有効度を得るために行うのであればキャラクター化は非常に有効なのだと気付いた。

 自分を型にはめてコミュニケーションを行うと自分についての情報の正確さは下がる一方で、非常に低コストでやりとりができる。好感を得られる頻度も高くなるのだろう(まだあんまりサンプルがないけど)。様々な人間と関わる必要がある職場や初対面の人とのコミュニケーションでは型にはまりに行くというのも重要なメソッドなのだろう。

 

性別不明の読み取りづらさ

 さて、職場の話はいいとして。同じことがジェンダーにも言えるのだということを最近感じた。定型化された振る舞いを行えば相手もこちらのスタンスを理解しやすい。それは趣味や所属の話もそうだが、自分のジェンダーについてもそうであるのだろう。

 僕が楽だからと言って性自認を放棄していると相手は僕のことを読み取りづらくなる。もちろん時間をかければ伝えられるのだろうけど、その前に相手の興味が失せてしまうだろう。伝わったとしてそれはとても少数で、色んな人とかかわりを持ちたいと思っている僕にとってはそれは致命的だ。人と広く関わりたいならある程度自分を型にはめなければならない、気がする。

 

男性として生き、たまに自分を織り交ぜる

 前に見たイラストの講座動画でイラストを評価してほしいなら絵を上達させるより絵をキャッチーにさせるほうがいいと言っていた。人気の版権絵でもいいからまず興味を持ってもらって、そのあとに自分の個性を見てもらえばいいと。

 自分のプレゼンテーションもたぶん同じなのだろう。今までの僕は順序が逆で、初めから細かに自分を見せていくのではなく、まず雑でもいいから自分を大まかに説明して、それからゆっくり自分というのを見せるのがいいような気がする。

 男性として生きることに大きく同意したわけではないが、今まで性別から離れてきた分、しばらくは男性らしく生き、男性のロールをまとい、男性として他人に接するのががいいだろう。そうすることで今まで見えなかった人とのコミュニケーションが見えてくるのだと思う。

 あ、でも爪は塗ります。綺麗だし格好良いので。一見ダブルスタンダードっぽいけど爪を塗ることを非男性的なものと見ていなくて単なるお洒落として楽しんでいるのでアリです。もともとは非男性的になるためだったけれど、こういう風に受け入れられるようになったのは進歩なのかな。進歩ということにする。信じていると追い風が吹くので。祈れ。

 

あとがき

 というわけで、役割に沿って生きてみようと思っている話でした。

 本筋とはズレるけれど、"多様性を持った社会"というもののゴールは遠いなと思いました。トランスジェンダーだとかノンバイナリーだとかアセクシュアルとか、言葉が広まったことで存在が知られるようになったのはよかったと思います。

 でもそれが進んでみながその存在を理解したとしてもマイナス印象がゼロになっただけで、「この人はこういう風に相手をすればよい」という安心感を相手に与えるプラスの印象は持たせづらいのではないかなと思います。それはマイノリティへの理解のなさとかから起因するのではなく、単純にそのような相手と接したことがないから経験がないということが原因であり、おそらくいつまでも付きまとう問題だと思います。百聞は一見に如かず。(難しすぎて僕は降りてしまいました。あまりにも遠すぎる。)

 

 ところで、この記事を何のためにここで書いたのか、なぜサークラ性役割に迎合することを肯定的に書く記事を書いたのかが自分でもわからず迷っていました。でも書いているうちに思ったのは、たぶん体制に寄り添うことの楽さもあると伝えたかったのかなということです。

 ジェンダー性自認に限らず、社会に期待される役割や動きに上手くなじめなかったとして、その流れから離れて一人で(一人ではなくても少数で)生きていくことはできます。しかし社会は個々が全体としてスムーズに動けるようにできているので、期待されている役割に乗っている限りはメリットを享受できます。(それとも流れから外れると逆風が吹くんですかね。まあ相対的には同じですが…)

 だから流れに乗るのがつらくても、その順風も含めて総合的に考えると流れに乗る方がいいこともあると思います。このような体制に沿う選択肢の提示はマクロ的には嫌われるのかもしれませんが、ミクロ的にはそれで楽になる人もいるでしょう。少なくとも体制を受け入れることで選択肢は大きく増えると思います。*1

 同じような理由でいつぞやのアドベントカレンダーで「不登校したいなら好きにすればいい」というようなことを書いたのですが、今は「不登校をするのは悪いことではないが、できる限り通学というルートには乗った方がいい」という風に考えています。学校で得られる社会的経験が多すぎる。

 

 あとがきが長くなってきましたね。まあとにかく、性役割に乗って"普通"に生きてみようと思っているという話でした。

 社会人を半年やってつまらない大人になっちゃったな、墨鼠よ。まあいいです、これからは第二ラウンドなので。これからも打ちのめされてよりよい人生にできるようあがいていきたいですね。それでは、また。

 

 明日はサイボーグおでんさんの記事が投稿される予定です。お楽しみに。

*1:その個人の利益を優先した選択の積み重ねがマクロになって囚人のジレンマになるのか? わからん…