猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

誕生日に生き方の転換ができた話

 この記事はサークルクラッシュ同好会の新歓リレーブログ企画の二日目の記事です。一日目の記事はこちら。

am6.hatenablog.com

 

 

 こんにちは。藍鼠です。サークルクラッシュ同好会の会員をやっています。小人と変身とVRの話ができる人です。今年は入会から5年目なのでそろそろ老人です。ヨロシクー。

 というわけで始まりました新歓リレーブログ。実は二年前にも僕はリレーブログに記事を投稿してたりしてます。(つい数日前まで忘れてましたけど…)

circlecrash.hatenablog.com

 二日目は僕が記事を書いていきますよ。今回のテーマは「あなたにとってサークルクラッシュ同好会とは」もしくは「自分語り」だそうです。「サークルクラッシュ同好会とは」のテーマは一昨年にやったので、今年は自分語りをしていこうと思います。ちょうど数日前に誕生日を迎えて、そこが大きな転機になったのでその話をしようと思います。

 それでは、どうぞ。

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 4月の11日。2█回目の誕生日だった。美味しいもの食べに行って、シェアハウスの住人と盛り上がって、ケーキを食べて、誕生日っぽいことは大体全部やった。とても楽しい日だった。

 本当は楽しい誕生日についてこんな蛇足な文章を書いてはいけないはずなのだけど、今の自分の心情を残すことが大事だと思い書いている。

 

 

 大学生になってから、ほぼ毎年自分の誕生日を盛大に祝っている。去年まで*1は手料理を作ってシェアハウスの住人などと一緒に食べたりしていたし、2年前からは自分の誕生日に自分で絵を描いてお祝いしたりしている。

 さぞ自分のことが大好きなように見えるけど、多分心からそうなんじゃなくて、むしろ自分を好きになるためのポーズではあると思う。形から入るのは大事だと思うけど、逆に言えば形でしかないのだ。

 何が言いたいかというと、僕にとって誕生日とは(他人を巻き込んでおきながらも)自分のための儀式でもあるのだ。お祝いに参加してもらう人にはちょっと申し訳なく思う。
(でもお祝いは本当に嬉しいし人間と過ごすのはとても楽しいです、ありがとう、ありがとう…)

 

 もっと言えば、僕は誕生日のお祝いを参加型にしておきながらも、周りの人間が参加して祝ってくれることを期待していない。全く誰からも祝われないとは思っていないけど、確実に祝ってくれそうな人たち以外にはお祝いを期待していない。0か1かの極端な期待という感じといえば分かりやすいだろうか。

 その根底にあるのは「期待しなければ何もなかった時にがっかりしないし、良いことがあれば喜べる」という典型的なマイナス思考だ。誕生日に限らず、周りの人間にどう思われているかの自己評価は過剰に低い。「”過剰に“低い」とは自分でも分かっているのだけど、簡単に変えられないのが難しい。

そんな自己評価の低さだったから、今日の誕生日に多くの人間が祝ってくれたことに自分でもかなり驚いている。ようやく本題。

 

 参加型の誕生日イベントとして、今年の誕生日にはお祝いのイラストを募集することにしてみた。

 これも、参加を誘う形式にしておきながらも、誕生日に自分で自分の絵を描くための布石という意味が大きかった。他人が描いてくれることについては、一人が描いてくれたら儲けものだな、くらいの期待しかしていなかった。

 一応言っておくと、他人にイラストを描いてもらうことはとてもうれしいことだと思ってはいる*2(描いてくれた皆さん本当にありがとうございました…!)。そういう意味では求めてはいるのだが、どうせ誰も描いてくれないという諦めに近い感情があるのだ。

 

 話を戻そう。期待をしていなかったのとは裏腹に、誕生日よりも前に2人から、誕生日当日にも2人からイラストを描いてもらったのである。

 誕生日のお祝いのリプも20近く、親しい人間の何人かにはLINEで直接お祝いを貰った。しばらく交流の無かった友人からもお祝いが来て、その流れで今度通話しようという話にもなった。たのしみ。

 要するに、自分の思考をマイナスだと認識している、プラス思考寄りの自分からしても想定外のお祝いと愛(?)のメッセージを貰ったのだ。正直うれしくて、うれしすぎて顔が赤くなり、ずっと顔を手で隠していた。

(頭の中に浮かんだ図はハチクロ*3の真山が切り崩れる幸せ貯金にあたふたしている姿だった。幸せでうれしいのにキャパオーバーでずっと息継ぎが十分にできずちょっと苦しかった。)

 最近はずっと孤独死する妄想をしてばかりだったのに、実際には多くの人が僕のことを見てくれていた。月並みな話で申し訳ないけど、普段は気づけない自分の外面にハレの日に気づけたわけだ。このことに気づけただけでも今年の誕生日には十分な価値があった。

 

 

 ずっと人生で何かを残そうとしてきた。何かを成し遂げることでようやく自分が認められると考えて物事を進めてきた。それはうつ病時代に憂鬱から脱却し身体を動かすために必要なフェイズだったけれど、そろそろ転換期が訪れようとしている気がする。

 何かを成し遂げるのではなく、自分が自分であることを肯定して生きていくような生き方。これまでとは全く逆の生き方である。でもそれは奮闘していた時期を否定することではなく、その時期に得たものを糧にして生きていくことだと思う。

 またハチクロの話で申し訳ないのだが、森田さんの「何かを残さないと生きている意味がないなんてそんな馬鹿な話あるものか」という台詞が呪いのように最近ずっと心に残っている。呪いと言っても前に進むための言葉なのでネガティブな意味ではあまりないけれど。「生きててくれればいい、一緒にいられればいい、オレはもうそれだけでいい」。多分これからの僕に必要な言葉はこれなのだ。

 

 いろんな人々からの誕生日のメッセージを見返して思うが、みんな藍鼠が何かを成し遂げたからメッセージを送っているのではなくて、藍鼠が藍鼠であるから仲良くしてくれているのだ。

 何かを成さなくても藍鼠が藍鼠らしくなることで人と仲良くできるのであれば、無理をして何かを成す必要もないのだろう。もちろん何もしないでいいわけでは無いだろうけれど、それは「何か大きなことを成す」ほどのことを必ずしもしなくてもいいのだ。

 

 誰も(とは言いすぎだが、ほとんどの人は)自分の誕生日を祝ってくれないと思っていた。それはたぶん、何かを成さなければ誰にも好かれないという考えが自分の芯にあったからだと思う。自分がまだ何も大きなことを成せていないのだから、誰も好いてくれるはずはないと。

 その思考に囚われて憂鬱になってしまう自分には成しを自分の芯にする生き方は合わないのだと思う。それに、必ずしも何かを成し遂げなくとも自分は肯定されることができる。今年の誕生日はそれを強く確信して、生き方を変えるための大きなエネルギーを生み出せたように思う。来年は自分の誕生日にみんなに好かれていることやみんなが祝ってくれることを心から信じられたらいいな。

 

 

 今年の抱負は「前に進む」だ。前に進むという言葉にはベクトルの「方向」だけが含まれていて、どれだけ前に進むかの「量」は明示されていない。

 自分にとって正しい方向に進むことを重ねていれば、たとえゆっくりでもいつかは僕の求めている場所に辿り着く。それを良しとする生き方を芯に据えることが今の僕には大事なのだと思う。

 

 前に進んでいけるといいですね。祈り。

 

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 というわけで、私事ではありますが自分にとってすごく大事なことに気づけたというお話でした。読んでくださってありがとうございます。

 明日の担当は桐生あんずさんの予定です。たのしみですね。

kiryuanzu.hatenablog.com

*1:今年はコロナの影響で自粛…

*2:他人にイラストを描いてもらうというのは自分の絵をどう解釈されているかを見れる絶好の機会だ。自分のキャラクターが他人に好意を与えたというのもとてもいい話。うれしい。

*3:ハチミツとクローバー』。最高の漫画。未読の人間はぜひ読んでください。読め。