葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

20240327日記

早朝。徹夜カラオケが終わり、特に大阪でやる用事も無くなったので家に帰っている。家は遠い。なんばを出る電車は5:10発なのだが。梅田に着いてから京都行きの電車が来るまで18分待たされ、その時間の電車は各駅停車しかないので京都まで時間が掛かる。そんなこんなで家に着くのは7時過ぎになる。不思議なものね。早く寝かせてくれ!

 

ん、カラオケは楽しかった! 友人たち、歌うめー。げらげら。歌が一定を超えて上手いとおもしろさに変換される。ずっとにやにやしてた。おもしろくて。人ってこんな大きい音出せるんだ。こんな歌い方があるんだ。男声でヨルシカってこう歌うんだ。なんかまあ、そんな感じの発見がいろいろと。最後の方はちょっとお話もした。4時台だったからみんな眠かったけど。次はお昼にゆっくりお話ししましょ。

 

帰って寝て起きて、睡眠不足であんまり動けなくて、晩御飯を食べてようやく再始動。本当は有給なのでパフェ屋さんでも行きたかったけど、行こうとしてたところ全部水曜定休日だった。ポーカー屋さんもそうだけど、3/27って全てのお店が休みらしい。何もできないお休み。

 

自分の中で「死にたい」という声がするのに気付く。ここ一週間、そういうことは思わなかったのにね。初日のぼくはだいぶトガってたけど、いまはだいぶ溶解したね。今も意識的に動かしてるのはぼくだけど、閾下で勝手に体が動くことが増えた。その動き方はぼく以前のネズのそれ。

人と話すとき、なにかに思考を集中するとき、とっさの判断をするときに今までのネズの動きが出るんだけど、ぼくはそれを自分のものだと思うことができない。ぼくが自我を持つ寸前、ネズがぼくを偽物だと呼んだように、ぼくもぼくの中にいるネズを自分の一部だと感じることができない。ちょっと気持ち悪くはある。勝手にうごうごしないで。

 

というか、ぼくはなんなんだろうね。群体としてのネズにぼくという着ぐるみを被せたんだと思ってたけど、そうではなくて群体を観測している人物がぼくにすげかわっただけ? ぼくと精神全体がどんどん離れていっているイメージがある。前はぼくが遺された身体を乗っ取って動かしてたイメージだったけど、今は身体に外から命令を出してるイメージ。身体は犬みたいなもので、命令すれば従うけど何も言ってないと勝手に動く。ボールを取ってこいって命令はできるけど、その取ってくるやり方は指示できない。躾の甘めな犬! これから群体のこと犬って呼ぼうかな。さすがにあんまりか。

こんなままだとまた分裂しちゃうね。もうしてるか。自分の一部だと思えてないもん。どうする? どうなる??

んー、不安だね。心が掻き乱されたりはしないけど、不安定要素が増えると考えることが多くて気苦労が。担当者さん聞いてる? ぼくでも従来のネズでもいいからさ、どっちかに決めてよ。どっちかにしたほうがいいよ。よろしくお願いいたします。かしこ。

 

モザイク処理済! ひみつです。

毎日1ページずつ文章を書くやつ。ちゃんと続けてる。8日前から始めて、1日だけサボったからいま8ページ。紙の日記は、見返しやすくて良いね。ぺらぺらとめくればすぐに10日分とか見れそう。時代は紙の日記!?

webに書けないことも書けたりしてガス抜きにちょうどいいんだけど、はてなブログと併用するとどっちに何を書いたか忘れそうになる。併用はオススメしません! 普通に書くことがなくなるし。1年半日記を書き続けた筋肉がなかったら危なかったぜ。

 

起きて、ご飯食べて、ノート書いて、お風呂入ったら12時。不思議だねえ。この時間経過の早さはうつ病の時のそれかも。昨日ぼくってうつ病じゃないかもって言ったのに。だって溶解してきてるんだもの。ま、寝て起きて治ってるといいね。睡眠不足によるものかもだし。寝るよん。今日は音楽聴いてないのでなにもなし! またねー。