葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

20240224日記

洗濯してお風呂入って買い物行って、ってしてたら夕方になってて、疲れて気絶したら夜になってた。作業はしていない。2月、全体が溶けてなくなろうとしている。

 

ベッドで鬱病みたいになりながらジョジョ5部のアニメを観た。おもしろいな。なんか荒木先生の描く美しさがわかるようになってきた。美意識がすごい。内容や人柄で4部が好きって言ってたけど、美しいのは5部かも。人もスタンドも美しい。

やはりセッコとチョコラータの回が好きだ。良いよね、あの二人。百合みたいでさ。あの二人の関係のことがずっとずっと好きなんだけど、あんまり言語化はできていない。だからって百合みたいってのは雑すぎやしないか。ネズの言う「百合」ってかなり独自の意味合いがあるしよお。

はい。真面目にやります。チョコラータはたぶん人間全部を平等に等しく見ている。全てが自分より下で、自分が操作できるobject(⇔subject)だと。だからこそ本来はパートナーなどできないはずなのだけれど、そこに嵌る人間がいるならセッコしかいないなと思う。セッコはたぶん、自我がないから。といっても自我がなくて操れるからパートナーに置いてるとかではなく、そのシンプルな心の形が楽だからそばに置いているのだと思う。セッコの方もチョコラータの下にいるのが心地良いのだろうし。世界の誰とも繋がれない二人が偶然出会って引き合ってるならさ、祈りが通じたみたいで尊いじゃん。なんか厭世的な百合漫画みたいな言い方になっちゃったな。二人は別に一人でも寂しいとかはないんだろうが、心が自然にいられる相手といれるならとても素晴らしいことだなと思う、そういうそれだけの話。

そういえば。今さら気づいたのだけど、セッコってスタンド像ないのね。自分の身で戦う。なんかそれも意味ありげだが、安易に解釈したくないな。たぶんセッコの世界の見方に関わってるんだろうが。この二人の関係を読み解くならこの特殊なスタンドの性質を糸口にするのがいいんだろうな。

二人のスタンドは共にひどくシンプルだ。チョコラータは全てを操作可能なobjectだと思っているし。セッコはそもそもsubjectとobjectの区別を無くそうとしているのでは?? 形はだいぶ違うが、二人とも「環境によって自分の行動を変える」といったフェイズが吹き飛んでいるように見える。世界に左右されないシンプルなかたち。それが純粋で美しいなと思う。まあ、結果として二人とも人間的にはゲスだが。

 

カプ妄想しすぎたな。特にオチはないよ。オチを考える余裕もないしね。寝るか。なんか雨降ってるんだけど洗濯物大丈夫?? 知らない。乾くまで干せばいいでしょ。それを考える余裕もない。寝るピ。

 

f:id:indigomou5e:20240225021443j:image

買い物行ったときの写真。水と空しかない。シンプルで綺麗。