葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

20240123日記

希死念慮レベル1。自分に価値がないのなら、ただ爛れ腐るだけの人生なら、生きていても死んでいても変わらない。そんな気分。腐っていくなら、いま死ぬのが一番美しく、苦しみが少なく、合理的だ。……大丈夫です、まだ死なない。死ぬ方法も知らないから。僕は知識が無いことはとんと出来ないから。だいじょうぶ!!

でも、実際希死念慮が出始めると全く他人がどうとか気にならなくなるなと思った。他の人が僕の生死になんか言おうが、全く関係ないことに思えそう。おれの話だからおれ一人で完結させる。そんな気持ち。前からちょっと思っていたけれど、やっぱり人の希死念慮をどうこうするのって無理かもしれないね。死に向かう者は止められない。生に向かうタイミングのときに引き寄せるしかないのかも。そんなこと考えてる余裕ある?? ない。じゃあ療養しな。はーい……

さて、しかし。自分にとって、生きることは自分がユニークであることを証明し続けることらしい。凡人な自分は存在価値がないようだ。なんか、やだな。そんなしょうもないところに価値を見出そうとしている自分が。なんでそんなことになってるのかね。他人に認められるということがわからなくて、その適応として価値の分かりやすい基準としてユニークさを取り入れたのかな。おばかだね、‪█‬‪█‬は。とてもかわいい。分裂禁止。

 

まだ狂いについて考えてる。ここでの狂い、狂気とは自らにしか通じない理屈や理論を貫徹すること。僕は常に他人に認識されることでしか、他人と通じることでしか自分を認められないけれど、その逆に自分の独自の理屈で生きていけることを狂いと呼んでいる。自分にしかわからないルートに進むこと、それを狂気を呼ぶのは、ひどく社会性の高い行為だね。なんなら社会のベクトルに狂っている人のそれ。

とにかく、狂えれば自分も楽になれると思っている。いわゆる自分で自分を認めるとか、自分を愛するとか、そういうのをやればいいというのは理屈は分かるが。僕には社会的に100%やるか自己の方向に100%進むかしか道が見えない。今の道が苦しいから、きっと違う道には希望があるはずだ。そんなありふれた希望。

何が言いたかったんだっけ。社会に狂人と指を差されるルートに内包される一部の何かをインプットできれば前に進めるという勘はあるのだ。それが何かは分からないけど。そして、100%狂人になっても幸せになれないのもわかっているけれど(正確には、100%狂人になれれば幸せになれるのだろうが決して純粋な狂人にはなれない)。だから、だから。わからない。頭が痛い。再起動。

たぶんこれらは意味のないこと。意味がないとは(僕の中では)可用性がないということ。僕の頭はそういう意味のない思考を自然と考えないようにできるようだから、頭が治れば無意識にそれらをパージするだろう。疾患とは非合理的な振る舞いをすることで、健康とは合理的に振る舞えること。なんて素敵でつまらない考え。でも大丈夫、治ればそんなことも考えなくて済むからね。眠れ。

 

今日はライフに行きました。自転車というのは思ったより膝を極端に曲げたり伸ばしたりしないらしい。つまり、怪我に優しい。よかった。あとは酒を溶かしたお風呂に入って、甘いカフェオレを飲んだ。療養。目的もなくblenderを起動して、目についたところを少し直した。これはリハビリ。まあ、そんな感じ。ぴい。

 

(本当は何度か狂った文章を書いて、非社会的だからと検閲した。文章は消えたけど、消したという事実は残しておこう。社会と反社会の間で悩み、社会の方に向いたという心の動きがあったことだけでも、少なくとも。)

 

 

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