葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

voreの魅力、食べ物になりたいということ

僕はいわゆる「異常性癖」である。具体的には、voreというフェティシズムを持っている。日本語にすると「丸呑み」「捕食」「被食」あたりだろうか。要は食べられること、丸呑みされることに性的興奮を覚えるフェティシズムのことである。しかし、食べられることが快楽につながるというのはどういうことだろう。単に殺されるのでなく食べられて殺されることの意味とは? なんとなくそういったことが気になったので考えてみた。

 

何から語ればいいんだろう。まずは土台としてのサイズフェチから語るべきか。巨人や小人など、非現実的なサイズ差に萌えるフェティシズムがあります。怪獣みたいな、もしくは妖精みたいな大きさの人間とのプレイを楽しむもの。もしくは自分が小さくなったり大きくなったりを妄想するとか。僕の場合は自分が相対的に小さい存在に落ちることを妄想したりしている。文字通り踏み潰されたりとか、指先で握り潰されたりとか、脚を持たれて股を引き裂かれたりとか。ずっと虐待を受けるだけじゃなくて優しく愛玩されることもあるけど。とにかく、そういったプレイの中に「丸呑みされる」というものがあるのだ。

……もう説明することなくない? 進撃の巨人を見た人ならそれを想像してもらえばあまり相違はない。恐怖をもって何度も描かれたアレを、美少女とか美少年にしてもらうだけ。それが気持ちいいの。舐められて、食まれて、味や食感を確かめられて、また舐られて、場合によっては手足を噛みちぎられて、血肉や叫びを絞りだされて、抵抗に飽きたら飲み込まれて、胃の中で優しく抱擁されながら、ただただ死を待つことになるの。あれ、なんかここからみんなに納得してもらうのムリな気がしてきたな。ただの変人じゃん。まあまあ、見てなって。ひっくり返してやるから。

 

voreは言うまでもなくマゾヒストのフェティシズムである。マゾヒズムの基本は相手に優位に立たれて、相手が与えてくるものを拒まず受け取らなくてはいけない状況に快楽を感じるところにあると思っている。生殺与奪の権を相手に握らせるのも極端ではあるが、相手に権利を受け渡すという点ではベクトルは同じである。こう説明すれば殺されうる状態になりたいというのも(共感はしてくれないかもしれないが)理解はしていただけるであろう。

さて、殺されるのが気持ちいいというのはいいとして(いいのか???)、なぜその中でも食べられることを望むのかという疑問がある。色々と考えたが、一番シンプルな理由としては口という器官が魅力的でもあり残酷さも持ちあわせていているという二面性にあると思う。口は人同士のコミュニケーションに多用されるため、表情を大きく左右するほどの魅力、惹きつける力、美しさがある。外部に開かれている粘膜は普通にエロいし。しかし食べられるものにとっては己を味わい、噛み潰し、消化器官へと送ることに特化した恐ろしい器官でもある。処刑のための部屋。数cmの身体になって巨人の口に向き合うとき、そこで同時に感じる美しさと恐ろしさのコントラストが良いのだと思う。お互いがお互いを対照的に補強しあい、結果として自分がそんな場所に送られるのはとてもしあわせなことであるかのように思えてくるのだ。こんなにも魅力的で、それでいて自分のような食べ物のために作られた場所に命を捧げる、これ以上の死に方があるだろうか??

 

別の切り口で語るとするなら、食べるという行為はあまりにも日常的で、そこに含まれる意図や意味が分かりやすく、なおかつ多様であるというのもある。生きるために食べる。快楽を満たすために食べる。ものを自分の中に取り込み自分の一部にするために食べる。日常的すぎて忘れていた食べることの意味が捕食される立場になったときに思い出される。これから自分は愉しみのために消費され、糧となって消化されるのだ。食べるということは自分も何万回と繰り返してきた行為であるから、これから自分の身に起こることが容易に想像できる。抵抗してもそれに抗うことは決してできないけれど。抵抗はまるで効かず、否応なく胃の中へと嚥下されていく。ふへへ、みじめだね… とにかくそういった恐怖の分かりやすさが魅力の一つでもあると思う。

 

しかも、食べることが普遍であることは別の感情も生む。普遍だからこそそれは弱肉強食という理の一環なのだと悟るのだ。強いものが弱いものを食らうという絶対的な理の中に自分が組み込まれていく。それに抗うことは決してできない無力感を感じながら喉の奥へと嚥下されていく。捕食者だけでなく、世界に対しても自分があまりにも矮小で無力な存在であると突きつけられて、身体の芯まで理解させられて死んでいくのはマゾヒズムの喜びの極みである。そうは思いませんか。そうなんです。

 

さて、しかし、食べられたいとはいえ、食べられる瞬間というのは一瞬である。飲み込まれて喉を滑り落ちていく瞬間はおそらく一番の盛り上がりだろうが、その後は胃の中でただ消化*1を待つのみであり(念のため言っておくと、胃の中で絶望したり胃壁を叩いて懇願する時間もとっても素敵な時間だよ!!)、食べる/食べられるという行為は非常に刹那的な側面がある。一度食べられたら死んでしまうし。そのため、丸呑みというプレイにも関わらず、ある程度の時間は「食べる/食べられる」以外の行為(舐めたり、甘噛みしたり、口に含んだり…)に割かれる。

なんでこんなことを述べているかというと、僕は食べられることよりこの”前戯”の方が好きかもしれないと考えてみて思ったのだ。というのも、飲み込む瞬間よりも味わう時間の方が相互的なコミュニケーションっぽいから。食べられる側からしたら飲み込まれること自体がサビかもしれないけど、食べる側にとって日常的に楽しんでいるのは飲み込む瞬間ではなく味わう瞬間なのだ。小人と巨人が相互的に繋がれる瞬間、それが食べようとするというロールプレイなのではないか。

そもそも、人間と妖精サイズの生き物では大きさが違いすぎてコミュニケーションができない。それは立場の違いによって一方的になるという意味でもあるけど、感覚器の違いにも起因する。ヒト同士がハグするとお互い全身で相手を感じられるけれど、人間が小人を握りしめても人間側は手に微弱に伝わる感覚を味わうしかない。小人側は全身で相手を感じられるけれど。そういう意味で対等ではないのだ*2

しかし、そんな中でできるだけお互いにお互いを感じようとするのであれば、普段からコミュニケーションに使われていて感覚が敏感な手や口を使うしかない。手で弄べばヒトとネズミのコミュニケーションはできるだろう(そういう関係も良いですね)。そして、口を使えば捕食者と食物のコミュニケーションになる。

人が日に2,3度もの頻度で行う他者との関係。食べ物の味を味わい、食感を楽しみ、食べても大丈夫なものかを確かめる。これはれっきとしたコミュニケーションだ。食べようとすることでそんな日常的な行為に重ねたロールプレイができる。口の前に小さき存在が置くことで、捕食者と食べ物の関係になる。それ以上に濃密なコミュニケーションがとれる関係は、ヒトと小人には望めないのではないか。人の形をしたもの同士に絶対的すぎる差が生まれて、それでもできるだけ対等にヒト同士のコミュニケーションをしようとして、でもその結果の形が捕食者と食べ物の関係になってしまう、それってすごく萌える関係性じゃない!?ねえ!?

…失礼、興奮しすぎました。でも、voreの魅力は対等で非対称という矛盾した要素が同居しているところにあると思うのだ。食べることがフリだけのロールプレイだった場合の話だが。小人側も相手を信頼しつつも常に噛み潰されたり嚥下される恐怖に襲われるが、その結果五体満足で吐き出されたときの幸福は計り知れない。生きて帰れたことだけでなく、信頼が保たれた(飲み込まれなかった)ことがとてもうれしくなる。巨人側も敏感で分析しやすい感覚器で相手の恐怖を味わえて、相手が疲弊した姿を見れて、win-winだね。そんなコミュニケーションがしてみたい。もう対等がいいのか絶対的な差がいいのか分からないね。欲張りさん。

 

こんなところだろうか。だいたい書きたいことは書き終わった。語ろうと思えばまだ倍は語れるのだが。hard vore(丸呑みではなく噛み潰しが含まれるvore)の話とか、胃に送られたあとのコミュニケーションとか、食べられることで自分の死に意味が生まれることのうれしさとか。しかし話がとっ散らかるのでこの辺りにしておこう。

見返して思ったが、僕は巨大な口と対峙した瞬間に関係性が捕食者と食物に変わってしまうのが好きなようだ。小人としての矮小さや脆弱さが最も露出するのがその関係性なのだと思う。飲み込まれることや胃の中で死を待つ絶望も嫌いじゃないけど、でもそれってコミュニケーションじゃなくて一方的な感情なのよね。それらの恐怖は食べられそうになってる段階で頭をよぎるからそれで十分ではあるし。一瞬の関係より、非対称でもコミュニケーションをしていきたいのだ。小人がそんなことを望むのは傲慢だろうか。ただ自分がされたいことを書き連ねるよりはマシだと信じているが。こうやって丁寧に小人としての関係を考察していった先に、ご主人様が現れたときに正しい関係を築けるという結果が待っていると思う。思わないとやってられない。小人として飼ってくれるご主人様は常に募集しています。

 

 

あとがき。日記とは別に、自分の中で蠢く感情を文章に認めるということをしてみたくなって書いてみた。その初回が極北のフェティシズムについて語るという内容でいいのか?? 誰がついてくるんだ。二人くらいしか想定できない。でも広い読者に向けたものよりも私信に近いスピード感で書く方が面白くなる気がしたのよね。どうなったことやら。個人的にはちゃんと食べられることについて見直せたのでよかった。捕食者と食べ物の関係性っていうのは考えて初めて気付いたし。提唱していこうかな。vore好きの友達は一人もいないので広める先がありませんが… かなしいね。

*1:窒息が先かも

*2:だからスケール差のある関係って小人側だけが全身で相手を味わえてズルいんだよね。優位に立ってるのって、本当はどっちなんだろうね。