お昼にコラージュ用の画像を撮りに行く。GRを忘れたのでiPhoneで何とか撮ることになった。iPhoneで遠くのピントをずらすためには近くの何かにピントを当てる必要があり、画面隅に自分の手を入れてピントを合わせ、あとからそこをトリミングするという方法を取ることになった。普通に出直してGRで撮ろうよ。
ポートレートは難しい。人の写真撮ったことないからどんな構図で撮ればいいのか。特にバストアップくらいの構図がわからん。人の魅力を出すためにはそれくらいの近さの方が良さそうだけれども。イラストと同じ感覚でいい? よくない。イラストには背景のぼかしがないから。勉強、するかー。
ついでに人への手紙を出し、当たっていたお年玉年賀はがきの切手シートを交換する。うさぎのイラストがとてもかわいい。保存してもいいし大事な時に使っても良さそう。卯年に当たって良かった〜〜!
ニラ一袋300円。ふざけるな。
『ぼっち・ざ・ろっく!』のアルバム、『結束バンド』を聴く。なんかモヤモヤする。これはただのキャラソンではなくて、作中のバンドが作った作品集という体なのだけれど、そういうふうに見ると一貫性が無くてどう受け止めればいいか分からない。女性ボーカルでハードロックをやろうとしてる曲もあれば、女子高生のキラキラを前面に押し出してる曲もある。
というか、どちらにせよ女の子のかわいさをアピールしている感じはする。あざとさがある。あざといということは自分の魅力に自覚的だということで、それにどう自覚的なのかは周りに向けて放つ作品を作る上で大きく関わるところじゃないすか。でもそのあざとさがブレている。ブレているからバンドの方向性も見えない。そんなふうに感じた。(おれは本当に女の子のあざとさをわかっているのか、そういう不安はあります。たぶんわかってない。)
わかっている。ぼっち・ざ・ろっく!はそういう作り込みに力を入れる作品ではない。でも気になる、もやもやする。合わないから見ないというのが適切なのかな。大人にはなかなかなれない。あ、でもボーカルが固定されてるのは良かった! サビで合唱する曲は声が平均化されて好きじゃないから!
ふと思い出して日向美ビタースイーツの曲を聴く。KONAMIの音ゲーの企画であった、寂れた田舎の商店街に住む女の子たちが商店街復興のためにバンドを組んで曲を作るという架空のバンド。これは特にもやもやしないなと思い出して聴き直したが、日向美ビタースイーツの曲は虚構感がすごい。嘘すぎる。キャラクターも虚構めだし、曲も女子高生が作るにしては個性が強くキャラクターが立っている。虚構だという前提があると多少の非現実は受け入れられる。聴いたことないけど、けいおん!とかの曲も虚構だろうし聴けるのだろうな。虚構の味に耐えられるかは別として。
ぼっちざろっくは下北沢という舞台設定とか、あえてバンドハウスで演奏している設定とか、中途半端に場を整えてしまったから現実感を審査する目になってしまったのだろう。みんなぼっちざろっくはきらら系にしてはちゃんとリアルだから良いと言っていたけど、そのリアルさが逆に微妙な摩擦を引き起こしてしまったっぽい。塩梅って難しいね。
夜にコラージュの作業をしながらスペースをする。ありがたいことに何人も人が来てくれまして。先斗町で飲みに行こうという話とか、お料理の話とか、カメラと創作の話とかしまして。ありがとうございます。
特に創作物を人に見せたいと思うかどうかの話が興味深くてですね。スペースに来てくれた友人は人のポートレートは撮るけども、その二人から外へ作品を見せたいという欲があまりないらしい。そんな人いるんだと新鮮な驚きがあった。世の中には自分の作品を顕示する人の声に溢れているから、作品は作るけど人に見せようとしない人の存在がすっかり抜け落ちていた。人に見せたい欲(によるモチベーションのブースト)無しで良い作品が作れるのは普通に感心した。逆に撮影者と被写体で完結することが純粋に作品作りにフォーカスさせることに繋がっているのかも。
自己顕示欲が強い僕に流用できることはないかもしれないけど、バランス取りとして参考になりそうだなと思った。あと撮った写真の思い出聞かせて欲しいと頼んだらそれを話す会の開催が予定された。やったね。たのしみ。人の内側を覗き見することで生きております。
明日は出社!早く寝ないと!もう24:40だよ!!!おやすみ。