今日は出社の日だった。仕事はまあまあ。頻繁にTwitter開いたりしたけど。45点。最後は自分の絵を見ながら頑張った。おれ自分の絵好きすぎでは??
退勤。今日は最後の一時間精神が持ちそうになかったので自分のサイコーに素敵な絵を横に置いて回復しながら仕事することで事なきを得た。
— 墨鼠 (@prayfortiny) 2022年9月30日
スプラ3デザインSwitchの第四回当落が出る。落選。友人6人にも手伝ってもらったが全敗。これまでも合わせると16連敗している。倍率高すぎない??? みんな楽しそうにスプラトゥーンやっててそろそろ堪えるのも限界。ウー。
ドールハウスのことを考える。
この前ふと気づいたけど、もし僕が縮んでドールハウスで飼われるようになったらご主人様とその部屋が世界の全てになって隔絶されちゃうから、友達のみんなとはもう会えなくなっちゃうんだな。
— 墨鼠 (@prayfortiny) 2022年9月30日
突然消息が途絶えたらご主人様が見つかったんだと思って静かに祝福してください。
— 墨鼠 (@prayfortiny) 2022年9月30日
何となくドールハウスに行ってもスマホでLINEとかさせてもらえそうな気がするけど、それだと世界と隔絶されることのいいとこ取りをしているから良くなさそう。多分ご主人様も許してくれないし。人形は何も知らなくて良い。Kindleならギリ見せてくれるかも。情報統制されそう。やだな、良いな。
もし小人になって飼われる代わりに人間としての全てを投げ打つことになるか、小人にはもうなれないけど人間としての生活を続けるかの選択を迫られたら僕は小人を選べるのだろうか。かなり後ろ髪を引かれそうだ。でも後悔があるお人形なんてカワイくないし、小人になっておけばよかったと思いながら生きるのも辛そうなので、その選択を迫られる日までにどちらを選ぶかをハッキリ決められるようにならないといけない。それは明日かもしれないから、真剣に。
出社と金曜日の夜ということで外食する。北山駅の近くの蕎麦屋のよしむらに行く。
茄子が美味しい。あとお漬物。鱧の天ぷらと丼はそこそこ。悪くないけどこれで2400円は高いな、サービスが観光地的な京都の感じが強かったので観光客向けなのかなとか思っていた。思いながら、自分は嫌なこと考えるようになったなあと思う。常にコストに見合う美味しさかどうか考えるの疲れるし楽しくないよ。1800円くらいの美味しさはあったのに… こういうときに美味しさを値段で表現するのが良くないんだってば。
『3月のライオン』のことを考えていた。今までは割とこの作品が嫌いで、(あまり詳しくは覚えていないけれど)その理由は悪人が出てくるからだったと思う。主人公サイドをよく描くために明確な悪を描いて対比する作品が好きではなかったのだ。
三月のライオン13巻、悪人があまり出なくて人間がまた出始めたので少し株価が上がりました。
— 墨鼠 (@prayfortiny) 2018年2月4日
でもいま見ていてそのような思いは感じない。零の神経を逆撫でする香子も、ギャンブルと酒に逃げて離婚寸前の安井も、まだアニメで見てないけどひなたのいじめの原因になる人たちも、悪としてそこに存在する人などいない。結果として香子は周りに歪みを作っているかもしれないし、誰も安井に好感を持たないかもしれないが、それでも彼らはあるべくしてそのようにあるのだ。
そういった人物に悪のレッテルを貼ったのは紛れもなく僕自身である。羽海野チカはおそらく複雑な気持ちを抱えながら"悪"のキャラクターを描いていたのに、僕はそこに憎悪だけを見出していたのだ。恥ずかしいことこの上ない。
そろそろ『3月のライオン』を再評価できるのではないかと希望を持ちながら読み直すやつまたやろうかな。今までの結果は全敗(特に良さを見出せず嫌な読後感だけが残ること)ですが…
— 墨鼠 (@prayfortiny) 2021年7月23日
調べたら一年前は気付けなかったらしい。一年の間に何があったんだ。よく「嫌な読後感」から良さを噛み締めるところまで行けたものだ。
しかし、人はそもそも何かになることはできないのだと振り返って思う。正確には、何かになろうとして動いてその何かになることはできないのだと。良い人になりたいとか、すごい作品を残す人になりたいとか、そういう風に思って望む人物像に向かいそうな道を進んでも、望んだ目的地にたどり着く事はほとんどない。そこへ向かう道は確かにあるのだが、それを進む前から見分ける事は不可能なように思う。でも遠くの目的地へ向かって進むのではなく、今いるところからすぐそこのいくつかの行き先の中で最も良い方向を探してその方向に進むことを繰り返せば長期的な目的にも近づくのだろうと思う。これは信仰かも知れないけど。
逆に、"悪"に向かいそうな道が悪に続くわけでもない。移動においての判断基準が不適切な人がいて、誤った判断を積み重ねた結果"悪"になってしまうのだ。そういう事に気付いたから悪を切り離して断罪するのをやめられたのかもしれない。
(しかしこのエセ性善説はなんか良くない考えな気もする。判断の正しい正しくないで線を引いているし、自分を正しい側に置いているので。いつになれば僕は"良くない"考えを止めることができるのだろう)
まあ要は、「意味なんかないさ 暮らしがあるだけ」って事ですね。違うかも。『恋』の冒頭の歌詞、色んな人が色んな投影をしていてよく分からん。たぶん僕の解釈が間違ってる可能性の方が高い気がする。でもそれぞれの人の生活があるだけで、レッテルなんて一つもないんだよ。『恋』とは関係なく、それは本当にそう。
今日鑑賞したもの
ラブリーサマーちゃんの「LSC」をApple Musicで
・ラブリーサマーちゃんを出社時に流しがち。彼女のかわいさは環境に適応したものだと思っているから。
the pillowsの「STROLL AND ROLL」をApple Musicで
・clarkのインダストリアルな感じ、超cool。
今日の写真
出社時に。どこまでも続いていそうだけど、よく見るとクレーン車の根元で道が終わっている。人は消失点を見出して騙される。