葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

20220817日記 ネガティブな話三点盛り

仕事が手につかない。何のために仕事をやっているのか、それがぼやけてしまっている。プログラムを作っているときは楽にできる。要求された仕様をいかに早く、正確に、簡素に記述できるか、それを求めるゲームのようで、点数に換算しやすいからだと思う。

別に仕事を人生の中心に置く気はあまりないし、それはあまり向いてないと思うのだけれど、創作や人間関係を中心にすえるのであればある程度ちゃんと仕事をやる必要があると思う。つまり、仕事に本気になれないのは、自分が人生の中心にすると決めたものに本気になれていないのが原因なのだ。

それかもしくはそれらと仕事の関係が深くないかもしれないと思っているところがあるのだろう。どちらにせよ、熱がボケてきている。何かきっかけを見つけて再着火しなければ。

 

マッチングアプリをちゃんとやらないといけないと思い、自己紹介を整えたり相手のプロフィールを漁ったりしていた。

恋愛のやり方を指南してもらっている人に「とりあえず好きなようにやってみてくれ、お前がどうコミュニケーションするかどうかを見たい」と言われて困惑した。やりたいことがわからないし、マッチングアプリをどう使うと適切なのかもわからなかったから。

自分は失敗を恐れているから何もわからないと戸惑うのかと思ってたけど、それは正確ではなくて、自分の行動のモチベーションが「コントロール不可能な情動」と「評価基準が存在するものの評価を上げること」からしか得られないのが問題なような気がした。

前者はシンプルに自分がやりたいことだが、それがなぜやりたいのか、なぜ好きなのかは自分でも分かっていない部分が大きい。自分で自分のやった結果をメタ的に観察しながら自分の性格や傾向を判断しているので、その情動を意図的に煽ることはできない(抑えることはある程度できる)。

後者は人間関係全部をゲームか何かと捉えているというとわかりやすいかもしれない。相手を不快にさせたら減点、お礼を言われたら加点、しょうもないこと言えば減点、センス良いこと言えば加点、リムーブされたら減点、友達になれたら加点… その点を集めてハイスコアランキングに乗るために人間関係をしているような気がする。いや、そんなスタンスが良いか悪いかとかは別の話で、問題はそのような見方しかできないから評価基準がわからないものには何も関わりようがないように思うのだ。平均取得ポイントを上げる立ち回りの研究でしか何かに関われない。

結局、誰のことも考えずに自分の好きにやり続けるか、コミュニケーションハイスコアを目指すかしか考えられない。社会不適合だ。まあ無理ゲーなレベルではないのが救いなのだが。

 

言語能力が低いことを痛感させられ続けている。仕事上でも恋愛相談でも、相手の言っていることの本質がうまく組み取れないし、こちらの伝えたいことが捻じ曲がって伝わってしまう。やはり言語と概念の相互変換器が低レベルなものしか存在しないのかもしれない。概念を説明するときに別の具体例を比喩にして説明することが多いのだが、それは比喩が好きなのではなく概念をノンバーバルに捉えているからそうするしかないのだろうと思っている。文章中の言葉の繋がりではなく、こういうイントネーション/表情/流れ/身振りでこういう情報が発されたらこういう意図がありがち、みたいな経験に依るコミュニケーションしかできない。だから仕事や恋愛の話を教えてもらうときに他人の5倍くらい丁寧に教えてもらわないとわからないような理解の悪さが出るような気がする。

漫才や落語がほぼ見れないのもそういうところに原因があるのだろう。普段の生活には存在しない話し方で話すから。字幕の映画も文字情報だけでは情報が頭を通過していって話がわからなくなるし、本当になんとなくで意思疎通をしている。

 

自分が何ができないというネガティブな話になってしまった。自分にできないことを羅列して明確にしていくのは決して憂鬱なわけではない。それを改善するための方法を模索する意味でも諦めて別の迂回路を探すことを決める意味でも重要だと思っている。だけれど、この辺りの話はそのどちらもうまくいかなくて、結果憂鬱と自己嫌悪が加速して終わることが多い。どうすればいいんだろう。相談なのかな。相談乗ってくれる人募集中です。