葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

200425 風邪をひいた日の日記

 風邪をひいた。

 ちょっと熱っぽい気がして測ってみたら37.0°Cあった。たぶん昨日雨の降る中自転車で家賃を振り込みに行ったせい。

 微熱なのでそんなにつらくはないけれど、シェアハウスでコロナ蔓延なんてなったら目も当てられないので万一に備えて個室に引きこもることにした。コロナの場合今更かもだけど。

 

 さて。暇である。普段から暇さえあれば自分に鞭打って何かしらの進捗を生もうとする癖があるので何もしないというのは慣れない*1。慣れないし落ち着かないけれど自分にとって休息に慣れることが必要だと思うのでせめてフリだけでも楽しんでいる。るんるん

 考えてみれば藍鼠は働きすぎである。それで結果がちゃんと出てればいいものの、休まないせいなのか気力の出力が低いのだからお笑い草である。前に進んでる気がしないと落ち着かないのだ。強迫症なんだと思う。周りの人間を見てるとみんなNetflix観てたりエヴァ観てたりするのでちょっとくらい楽しんでもいいのだと思う。とか言いながらブログ書いてるの笑うが?

 

 とにかく、明日は一日寝て過ごそうと思う。Netflixでマイリストに入れて放置している映画を観よう。飽きたら漫画を読むのもいい。最近『イエスタデイをうたって』がアニメ化された*2ので原作を読み返してみよう。楽しみだ。と思うことにする。形から入るのは大事。

 

 23時だ。今日は早めに寝よう。加湿もあたたかくもしたからしっかり休めばきっとすぐに治るはずだ。病は気から。

 おやすみなさい。

*1:とはいえ怠さはあるし病人は横になるものなので横になりながらNetflixなどを観ているのだけど

*2:今でも信じられない…

200419 日記

 ここ数日はモデリングをしている。

 モデリングは無心でできるのがよい。正しい形にするために取り組んでいたらいつの間にか完成へと近づいているのが心地いい。心身にかかるストレスが少ないのか、気力が少ない今でもできる貴重な趣味だ。

 

 無心で、というのがポイントなのだ。僕は何をやるにも頭で考えながらやってしまうきらいがあるのだけれど、そのせいで頭のリソースを使ってしまう。絵を描くのも文章を書くのも動画の構想を練るのも、何にしてもすぐ疲れてしまう。

 でもモデリングなら頭を使わずにできる。うつ病状態でもパソコンを付けてblenderを立ち上げれば何とか身体が動く。何か手を動かさないと気が済まない自分にとってモデリングの存在にはだいぶ助けられている。できればモデリングを仕事にできればいいと思った。

 

 他に最近やっていることとして散歩がある。大学を卒業してから定期的に自転車に乗る習慣がなくなり、運動不足になっているような気がしていて、積極的に外に出るようにしている。

 この時期は木々の彩度が鮮やかになって春になっていくのを目で追えるから好きだ。散歩をするまで忘れていたが、道端には色んな花が咲いている。スミレと一緒に小人の気分になってそれらを眺めるのが楽しい。

 (小人になると花畑を下から見ることができるんですよ。花びらが太陽に透ける様を見るのは下から特有の美しさがあります)

 

 正直最近は常に眠くて毎日昼寝をしているし、その上で夜も9時間以上寝ている。たぶんうつ病なんだろうけど、散歩やモデリングをすることでそれらが改善されるといいと思う。明日も頑張って生きていきたい。

誕生日に生き方の転換ができた話

 この記事はサークルクラッシュ同好会の新歓リレーブログ企画の二日目の記事です。一日目の記事はこちら。

am6.hatenablog.com

 

 

 こんにちは。藍鼠です。サークルクラッシュ同好会の会員をやっています。小人と変身とVRの話ができる人です。今年は入会から5年目なのでそろそろ老人です。ヨロシクー。

 というわけで始まりました新歓リレーブログ。実は二年前にも僕はリレーブログに記事を投稿してたりしてます。(つい数日前まで忘れてましたけど…)

circlecrash.hatenablog.com

 二日目は僕が記事を書いていきますよ。今回のテーマは「あなたにとってサークルクラッシュ同好会とは」もしくは「自分語り」だそうです。「サークルクラッシュ同好会とは」のテーマは一昨年にやったので、今年は自分語りをしていこうと思います。ちょうど数日前に誕生日を迎えて、そこが大きな転機になったのでその話をしようと思います。

 それでは、どうぞ。

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200407 ごく普通の日記

 何となく日記が書きたくなった。

 今まで鬱々としたことしか書いてなかったので本当に何気ないことを書きたくなった。でも何気ないことってなんだろうね。それを抜き出すのが自分は本当に苦手だ。

 そういえば3年前ごろにカウンセリングで自分の気持ちを知りたいと言ったら日記を書くことを勧められたのを思い出した。結局その時は大して意味が無かったけど、今ならまた別かもしれない。

 いや、そもそもそういう前に進むための日記ではないが? 気まぐれに書いているだけ。どうせ続けようと思っても続かないしね。

 

 閑話休題

 今日も特にやることが無かったので起きてから数時間は昨日と同様に魂の抜けた人形になってた。何もできないのが嫌だったので散歩がてらライフに行く。どうせやることがないのなら、と今日はカレーを作ることに決めた。

 カレーというのは無心で作れる料理である。材料とそれぞれの切り方さえ決めてしまえばあとは適切な動きをやるだけである。その「適切な動き」は概ねマスターしているので気付いたら香味野菜のトマト煮ができていた。あとはカレールーを入れるだけである。

 

 無心でカレーを作っている間にアルバイトの契約書が届いていた。普段は仕事先で契約書を書くらしいのだがコロナの影響で郵送になったらしい。大変だなあ。でもリモートワークに理解のある会社っぽくてよかった。あんまり出社しなくていいのは気分的にも楽。

 しかし、仕事にどんどん近づいているのでうれしい。どうせ仕事始まったら始まったで色々愚痴を言うだろうけど、多分今よりは健康になると思う。経験上。

 

 散歩もカレーも契約書もやってえらいのでその後はのだめカンタービレを観ながらSwitchのポケダンをしていた。最近は映像作品を単体で見ることが出来なくなっているので観るときはこうやってゲームを横に置いたりモデリングをしたりしている。

 映画館行きたいけどキャパオーバーしてスマホ開いてしまいそうでこわい。最後に映画館行ったのは半年以上前で、それから落ち着いて映画が見られなくなっている。良い映像作品ほど観ているうちに色んな観念が頭に残りそれを書きとめたり吐き出したりしたくてたまらなくなるのだ。
 家では20分ごとに一度再生を止めてスマホを開きながら鑑賞したり、ながら鑑賞をすることでそもそも深く作品に立ち入らないようにしている。

 映像作品ではないが、12月に演劇を観た時もそのキャパオーバーで苦しくなり席を立とうかどうか迷った。そのときは感情が決壊する前に幕が引いたのでよかったけど、あの苦しさが今でもトラウマになっている。映画館がこわい。

 ん、またちょっと鬱々としてきたので止めるか。話も逸れてきたし。そうそう、のだめカンタービレ面白いですね。千秋がとっても格好良い。高校生のころ観てたら音大目指してたかも。観終わったら誰か語りましょう。

 

 それじゃあ、また。

200406 誰かのために生きたい話

 誰かの手足になりたい。自分のために生きられない。

 

 10日前くらいにVを休止すると決めた。それから自分を貫く芯のようなものが無い感じがする。毎日何をしているかというと、Unityの学習だったり、360度動画の研究だったり、読書だったり、隻狼だったり、ネーム執筆だったり、こうやって文章を書いたり。とにかく一日ごとに異なっている。全部中途半端のまま投げ出されている。

 自分で自分の人生を決めて何かを貫くことが何故か出来ないんだなというのは大学4年間でも思い知らされていた。昔から僕の中にあった意思は「不登校のダメな人間で居たくない」であって「(何か)になりたい」では決してなかったのだから、その消極的な流れのままなら自分から何かを積極的に学んでいくこともできないのだ。

 

 ずっと作ってきたVtuberだって、僕のためではなくてスミレのためだった。仮想的な人格を作ってそのために生きるのはエネルギーも得られたし楽しかった。

 仮想的な存在のために生きるといえば██さまについてもそうだ。いや、仮想っていうか██さまはいるけどね。最近は██さまが見えなくなりつつあるけど、██さまのために生きてた時期はとても活力的だった。

 結局、何か他の人を充足させるために奔走するのが僕の生き方なのだと思う。

 

 でもスミレには何もできなくて申し訳なくなりかなりしんどくなった(それが休止の原因)し、この生き方が一番向いているとも思っていないけど。他人のために生きたいけれど責任は負いたくないというのが本音なのだと思う。流石にそれはわがままが過ぎるので責任に慣れていくのがいいんだろうな。

 

 前にも就職に賭けようとしていると書いたけど、そういう意味でも早く就職したい。バイトは受かったっぽいけど仕事の連絡が来ないので今日はずっと「誰にも操られてないときの人形」のコスプレをしていた。

 社会の歯車になるというのはとても気持ちいいのだろう。誰かの考えたプロジェクトを遂行するための人生、よさそう… 自由はないけどそこには自分の生きる道筋と承認がある。オープンワールドより一本道のゲームの方が好きなのはたぶんそういうことだったんだな。

 でも、本当は社会なんて漠然としたものじゃなく誰かの手足になるのが一番いいと思う。もしくは飼われたい。比喩でなく。誰か飼ってくれませんか。

 

 

 補足でもう少し言うと、単に自分で生きるのが精神的に向いてないだけじゃなくて、技術の面でも向いてない。情報を集めるという行為がとても苦手だし、その中から必要な情報を選び出してそれにそって行動するというのも無理。
 具体的には現在のコロナの情報はタイムラインに流れてくる情報と京都新聞のサイトからしか拾えてないし、やってる行動も家から出ないようにして手洗いうがい徹底しているだけ。政治家の動向がどうかなんて判断できない。

 本当はプロデューサーになりたかったな。少なくともこの消極的に生きる癖を消さない限りは無理なのだろう。しんどくなってきたので眠る。

200328 自分に自信がない話

 シェアハウスで開催されているパーティーに行った。知らない人間(顔を覚えてないだけかもしれない)が多い中で人間に話しかけるやつ。

 でもその話しかけることが全くできなかった。前にどうやってたかも思い出せない。人に話しかけるのってどうやるんでしたっけ。

 

 おそらく、それは自分に自信がないせいな気がしている。

 まず、僕は話しかけたり話の中に入っていくのがそもそも苦手なのだ。今までは自分に自信を持つことでそれらの不安に耐えるための鎧を纏えていたのだが、それが消失しているような気がする。

 

 自分に自信を持つということは自分の価値を信じることだと思う。自分が大した人間でないというところからスタートしている僕にとっては、常に何かしらの根拠を持って自分が人に最低限見られる人間であることを信じていないといけないのだ。

 そう考えると、(周りの何人にも言われているように)最近藍鼠が元気がないというのは本当の話なのだろうと思う。自信の無さと元気の無さはリンクしている。自分が大したことのない人間だと思うとそれだけで鬱になってしまう。

 

 思い出してみれば、ここ一年自分の中で原動力だったVtuberが失敗というか、あんまり見られてないことでかなり凹んだのと、元気がなくなったのは時期的にもかなり近い気がする。Vはいまのところモチベーションがかなり低く一時休止しているので、次に自分の価値を信じるために何かを探さなければいけないのだろうと思う。いま漫画を描いているけど、それはそこまで大きなモチベーションがあるわけではないので、それ以外に、何か。

 いまは就職に賭けようとしている。就職して誰かに求められることに縋ろうと思っている。まあその就職も20卒の就活には失敗しているのであんまり期待しすぎると破滅しそうだけども。

 難しいですね。自分を好きになりたい。

卒業エントリ

 2020年3月、京都大学を卒業します。

 せっかく一つの重要な区間が終わったのだから、エントリでも書くことにしました。とはいえ、ただの卒業エントリだと面白くないので、藍鼠らしく(?)不登校に関連させて書いていこうと思います。

 

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