葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

20230527日記

音楽について考えている。音楽聴くのが好きな人ってSpotifyに入ってどんどん新しいアーティストやアルバムを見つけていく印象があるけど、実はその気持ちがあんまりよく分かってない。

僕にとっては音楽は状況に適したアルバムをかけるのが理想的なのだけど、「こういう状況で聴きたいアルバム」の枠がある程度埋まったらそれ以上探せなくなる。単純にアルバム集が決まってくれば無理に探す必要はないし、何より探す時間がない。聴きたいアルバムを掛けてたら一日が終わる。僕のdig力の程度でも新しい音楽を探す暇がないのに、どうやったらもっと知ってる人がもっと探せるんだろうと思ってしまう。音楽を状況に対しての処方だと思っている僕がおかしいんだろうけどさ。

そういえば音楽じゃなくてアニメや映画もそんな感じだな。ジョジョとピンポンとフリクリハチクロと、あとは他の見たことあるやつたちでだいたいどうにかなる。だからそれらのリピートばっかり。新しいものへの関心が無いんだな。アーティストとしては致命的だ。どうにかしないと、どうにか。まあ適度に新しいもの摂取してるからえらいのかな。えらいということにしておこう。

ちなみにこの新規性への興味の無さは人間関係にも現れていて、新しい人間に興味がないという問題が僕にはあり。アッアッ、苦しくなってきた。おわりです、おわり。

 

描き損ねた昨日の話をしよう。昨日はヨシダ ユキミさんの個展『雨のち晴れ』を見に行った。今まで何度かこの人の展示は見ているのだが、今回はだいぶポップな印象だった。いい意味で角が取れてる感じがする。人は変わっていく。僕も変われるといいが。

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個展は喫茶店の中でやっていたのだが、そこのマスターと顔見知りになっていたので若干話した。最近3Dをやってるんですよーと写真を見せたら、バーチャルではなく実物として造形物を作ってると思われたらしくめちゃくちゃに驚かれた。パソコン内のデータに造形物があると説明したのだけど、もしかしたらあんまり理解されてなかったかもしれない。少なくともピンとは来てなさそうだった。まあとにかく、実物と見紛われたのはある意味うれしいかな。ちゃんとできてるってことでもあるから。

ウチで個展やりなよーと言われたので作風が決まったらと伝えた。流しではなく思ったことをそのまま言ったらこうなった。まだ始めたばかりだからねえ。技術もだけど、彼女らがどんな世界にいてどんな風に生きていてどんな風に写真を撮られているかの軸を定めなければ。そうしてその軸を中心に連作とかを作れればいいと思う。がんばろ。個展は来年とかにやれたらいいですね。

 

今日は今年夏に着る服を探しに街中へ。結局いつも通りtk.でTシャツを買った。黄色のプリントが入っててカワイイやつ。これで今年の夏も大丈夫でしょう。

 

あと京都若手作家展という展示がやっていたので観た。京都で若手であるという以外には共通項のない範囲広めの展示。やっぱり自分は色かシルエットかしか鑑賞するための軸がないなと思った。ちゃんと見れたのは8人くらい作家がいた中で2人だったから。その他はあんまりピンと来なかったかも。良い悪い、好き嫌いという評価を下す以前のところにいる。

AIイラストを模写してキャンバスに落とし込んだような作品があって、AIイラストと人が描くイラストの違いについて考えたりした。明らかな違いがあるから分つことができるだけで、機能としては何も変わらないのかもしれない。分類できなくなれば実質同じってすごく当たり前のことを言っておるな。色々考えたのはそうなんだけど、「考えさせられた」のワードを使いたくなかったので頑張って具体化してみて、でも無理でしたね。なんか思ってはいるんだけど、なあ。

 

しかし、なんか視線が痛い。外に出ると一挙手一投足がみんなに見られてて一個間違ったら裏で笑われたり変に思われたりしている感覚。自分のした失敗(の候補)がずっと頭に残って責め立ててくる。消えたい。明らかに、そこはかとなく、調子が悪い。しばらく伏せてたら治るかと思ったけど数週間してもじわじわ悪くなるばかりだな。どうしたものかね。とりあえず今日も伏せるか。

 

友人が飲みたいとのことで遊びに来た。自家製の梅酒などを飲みながら写真の話などをしていた。でも死にそうな共通の友人の話をしていたら場が盛り下がってしまった。どうしよ。人、死なないと良いが、死なないとして苦しみや歪みをどうするかはまた別の難しさとしてある。