葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

精神年齢とは

 年齢の割に大人びている、とはよく使われる表現である。逆に、幼稚だというと年齢の割に考え方が幼いということである。これらの表現は昔からあるが、最近では思想や心構えの大人度合いを示す指標として、精神年齢という言葉も普及した。(一応言っておくと、知能指数(IQ)を計るための精神年齢とは別物である)

 

 しかし、その精神年齢とはどうやって計っているのだろうか。彼の精神年齢は20歳相当だ、などと何となく思ったりはするが、何をして20歳相当だと決めているのだろうか。

 考えてみると、○○という考え方をしているから精神年齢が幼いというのは言えるが、逆に○○という考えをしているから精神年齢が高いとはなかなか言わないのではないか。例えば、中学生程度の年齢で中二病が発症することは有名だが、高校生が中二病を患っていると幼稚扱いされる一方で、小学生低学年に表れても中学生並みの精神年齢とは判定されなさそうである。○○をしてるから大人だという理論は、未成年がタバコを吸って子供というレッテルを剥がしたがるように、大人に見られたがる人しか使わないように思う。

 となると、精神年齢と言うのは人の過ちをどれだけ悟れているかの指標だと僕は思う。中学生になる頃には小学生のノリが子供っぽいことに気づくし、大人になると大学生の頃の考えが馬鹿らしかったことを悟る。その悟りが早いものを大人びた人といい、例えば15歳なのに20歳以下の人が犯す過ちを全く起こさなかったら精神年齢が20代レベルと計られるのだと思う。

 つまり、精神年齢測定法は完全に減点方式だと思われます。そんなわけで大人ぶりたい方は年齢が上の人の行いを真似るのではなく、同年齢の人間、特に自分の属している界隈のノリに懐疑的になると吉なんじゃないですかね。

 

 因みに僕はよく精神年齢高いと言われますが、未だに小学生のノリを引きずっているので減点方式のことを考えると精神年齢は一桁です。お間違えのなきよう。