葉脈と潮流

純粋さを磨き、迷わない。

200206 人の顔が見れない話

 この前人に指摘されて初めて自分が人の顔を見ていないことに気付かされた。正確には自分が人の顔を見れてないことは知ってたけど、思ってたよりずっと見ていなかった。
 自分では見ているつもりだった。意識してこの癖は直したつもりだったので。でもメタで自分を見てみると、人が話しているときにはたまに目を見るけど、自分が話しているときには人の顔が見れていなかった。記憶を探ってみても人の目を見ながら話している記憶がない。

 

 というか、人の目が見れないというより人に見られていることが耐えられないのだなということが分かった。目を見て話すのも、人が僕の顔を見ていなければできる。(そんなシチュエーションないし、それは「目を見て話す」ではきっとないのだけど…)


 つまり、「人の顔が見れない」のではなくて、「自分が見られてしまうのが耐えられない」のだ*1。それは根底では僕の自己肯定感の低さとも関係しているし、表層では自分の映ってる映像や自分の作品が見れないことにも関係している。
 思い出してみれば不登校の頃から自分の写真が見れなかった。指導教員にしてもらった卒論の添削も見るのにエネルギーが必要だった。ザ・ノンフィクションに出た時の映像も未だに見れない。今は写真なら大丈夫。自分のイラストもOK。自分の言動は無理。あとスミレの動画もダメ。

   
 自己肯定感が高いフリして誤魔化してたけど、いつかはちゃんと自分を見据えなきゃいけないんだよね。自分を見据えたい。自分を嫌いでもいいけど、見据えた上で嫌いって言いたい。でもどうやってやればいいの?わかんないよ。
 オチなし。おわり。今日の記事はscrapboxで執筆したのでいつもより短め。今後もscrapboxを使うかもしれない。

*1:話すときには話すので精一杯で人の顔を見る余裕がないというのもありそう