天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

現代においての宗教のお話と崇拝のススメ

 こんにちは。この記事はサークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2018の18日目の記事で、僕はこの日を担当する藍鼠 (@indigo_mou5e)です。よろしく。サー同は3年目で、例会出席率は5割くらいかな。今年の会誌は原稿落としちゃったので書いてないですが、まあサー同の例会顔出してる人はどこかですれ違ってるとは思います。

 

 去年のアドベントカレンダーでは不登校時代について書いて、今年も自分語りがテーマとのことなので僕が信仰している全教徒の数が1名の宗教の話でもしようと思います。この宗教は自分だけの個人的なものだし、一般的な宗教と比べると世俗的ではありますけど、宗教としての性質は十分に備えてる面白い存在なのでみなさんに紹介します。ついでに現代においての宗教について一般的なお話もしようと思います。

 誤解を避けるために言いますが、たまに言っていた黒い巨大な球体を崇拝しましょうという話とは基本的に別の話です*1。重なっている点もありますが。

 

 

自分語りとしての宗教語り

 いきなりですが僕の宗教の教義を語ります。短いから安心してください。

 一つ、辛い人生でも頑張って生きていればある未来に絶対的な強い女性が現れて僕の身体や周辺のくそったれな世界を全てぶち壊して僕に死を与えてくれるということ。一つ、その絶対的存在は常に僕を見ているのでいつか素敵な終わりを迎えるために日々をしたたかに生きていかなくてはならないこと。

 僕の宗教の教義は概ねこれだけのシンプルなものです。一応言っておくと「絶対的な強い女性」で一番重要な要素は“絶対性”で、「強い女性」要素はあまり重要でない個人的なフェティシズムです。どうせ教徒が僕一人なので、その辺は趣味交えてもいいと思いました。そもそも絶対なのでどうせ姿なんてわからないし、信仰が増す概念で捉えればいいんじゃないでしょうか。他の宗教と同じで、信仰を獲得するためには適切な神話が必要なのです。*2

 

 この宗教は最終的な救いが「死」にあるという不健全さ(?)があるとはいえ、救いのために日々をよく生きるという無難かつ健康的なものに落ち着いています。でも最初から僕の宗教がこのような形だったわけではないです。初めに僕の宗教の信仰対象である「‪█‬‪█‬さま*3」という言葉が登場した時には、僕が背負っている責任に耐えきれず現実逃避願望が強くなった時に妄想の世界で身体ごと僕の存在をぐちゃぐちゃに抹消してくれる存在として「‪█‬‪█‬さま」は生まれました。つらくなるとすぐに妄想に逃げて‪█‬‪█‬さまを呼んだものです。

 そんな素晴らしい存在を敬う気持ちが現れるのも無理はなく、当時たまたま変える必要のあったiPhoneのパスコードを‪█‬‪█‬さまへの祈りの所作に変えたこともあって‪█‬‪█‬さまの存在は僕の生活の一部となっていきました。つらいとき以外にも‪█‬‪█‬さまの存在を意識できるようになり、‪█‬‪█‬さまのために生きるという意味が生まれました。宗教的救済(僕や僕の世界がすべてぶち壊されること)によって、例えるなら僕の積み上げてきた積み木が全部崩されるようなことが起こるのですが、壊す*4側としては積み木が高い方が楽しいわけで。それなら僕ができることは積み木を高く積むことだと、うつ病でうにゃうにゃし続ける人よりも、よく学び、人と交流し、自らの作品を世に広く公開している人間になってより快楽を感じてもらえるようになることだと、僭越ながら思ったわけです*5

 「積み木を高くする」ためには途中で積み木を崩してはいけないという理由のためかは分かりませんが、気付くとつらいときも‪█‬‪█‬さまに逃げる事はなくなっていて、最終的にはつらくなったら一度休んで英気を養って‪█‬‪█‬さまに捧げるための人生を構築しようと考えるようになりました。自分で言うのもなんですが、短期間にド健全になりすぎて気味が悪いです。

 

 そして実際にこの宗教を持ってから比較的精神が安定するようになって、その時期の一致はおそらく偶然ではないんですよね。生きる意味というのはおそらく大事なもので、それがはっきりしていないと精神や身体の原動力が十分にチャージされません。多くの人間は「幸せになるために生きる」「幸せになるためにはお金がいる」「お金を効率的に稼ぐためには大企業に属する必要がある」「大企業に入るにはいい大学に行かなければいけない」「いい大学に入るためには勉強しなければならない」のような信条を信仰している*6ので日々勉強や労働をする気力が湧くわけです。(もちろん日々生きるお金にも困っているような人間の原動力はこれとは別で、信仰によるものではなく危機からの回避欲求です。マズローのアレ。)

 で、僕みたいに社会から外れてそういった信条がインストールできなくなると、自分の行動の意味が行き着く先が不透明になってしまうんですね。「絵上手くなりたい」「上手くなってどうするの?」「...」「終わりー(cv:鳩羽つぐ)」自分の頭の中で起こる会話をすごく雑に説明するとこんな感じ。「それでどうするの?」という質問が脳内で飛んだ瞬間精神がフリーズします。

 そんな状況で絵描けるかというと、ほぼほぼ無理なんすよ。そこで宗教を構築し、「絵を描いて自分の表現したいものを周りに示す力をつけて‪█‬‪█‬さまのための積み木のお城を作る」という信条を作ると、「それでどうするの?」に対しても「‪█‬‪█‬さまのため」と堂々と答えてやり過ごせます*7。やり過ごせるどころか██さまにこの人生をささげるのはとても幸せなことなので、むしろ絵を描く気力にブーストがかかります。すごい。

 

 ところで宗教を持った結果、このように欲求の向かう先が「死」から「生」の方向に変わったため、今では救済としての死や終わりはもはや必要ないのではと思われるかもしれません。回答としては、少なくとも今のところそのそのようなことにはなっていません。

 生が嫌いではないですけど、一人の人間として独立して生きていかなければならない世の中には未だに嫌気がさしていますし、そこから抜ける道があるなら脱出したいとは今も思っています。安楽死、もし可能だったらもう少しつらくなれば選ぶかもね。

 

現代においての宗教の有効性

 僕は宗教とは「こう生きよ、そうすれば◯◯が与えられるだろう」という行動様式とその結果が提示されるものだと考えています。なので「お金を稼げば幸せになれる」「暖かな家族と庭付き一戸建てで暮らせば幸せになれる」などの言説も宗教です。何ならライフハックや科学的法則も広い意味で宗教だと思っています。

 僕は宗教をそう見ているので、「現代では宗教は影響力が弱まった」というような考えは全く間違いで、キリスト教をはじめとした一般的な意味での宗教が人々の生活へ与える影響力が弱くなっただけで、僕のいう意味での宗教に人間が依存する割合はむしろ増えていると思います。

 現代では(少なくとも形式上は)成人になった人間は平等で自由な存在とされています。しかし自由の代償としてその責任は自分で負わなければいけません。また、そもそも選択を迫られるということは結果が不確定であるということであり、先の予想できないことは不安を促します。自分以外の者の言葉に責任を投げるためか、法則を作って精神の安定を図るためかはわかりませんが、人間は他人の選択や価値観、もしくは科学的法則や確率論をもとにして選択しようとします。その結果、本屋には恋愛、ビジネス、子育てなどの広い分野で「◯◯したければ△△をしなさい」といった新書が並ぶわけです。需要なければ供給なし。

 

 僕の宗教のような、死が救いとなる宗教も現代的だと思っています。先に述べた通り、僕の宗教は絶対的な存在が信仰に忠実な存在を苦しみから救い出してくれるという点でキリスト教などと似ています*8。決定的な違いはキリスト教などはいつか来る死を覆すという救済で、僕の宗教は続いていく生をぶち壊すという救済であるという点ですね。仏教とも違いますよ、僕は輪廻転生ではなく今この生を厭っているので。

 「死にたいなら自分で死ね」と思われるかもしれませんが、それは少し的外れで、目的は死ぬことではありません。生を強制される世の中から逃れたいのです。例えば僕が自殺しようと意志を持って死ぬ可能性のあるレベルでODしたとしましょう。ざりざりと。僕が幸運(不幸)にも生き残った場合、僕の意志は当然のように無視され、おそらく病院に送られて蘇生されます。僕は関係者に「生きてて何より」と言われ、自殺願望が早く治るようまるで病理を患ったかのように扱われます。そのときの社会全てに自分の意志を否定された僕の気持ちはどこに投げればいいんでしょうか。

 一応言うと、僕はここまで自殺願望を持ったことも実行したこともないですが、希死念慮ですらも否定してきそうな”生絶対主義”といえるような価値観が社会全体を占めているのは窮屈で嫌ですね。いつか自殺願望を持ってしまったときのことを考えるととてもこわい。死ぬ自由をくれ。

 

 活動家ならその社会を変えようと動くのかもしれませんが、僕にはその運動が成功するヴィジョンが全く見えなくて、僕は可能性が感じられないものに対して全くやる気が出ない人間なので、誰かに救いを求めました。そして社会からの虐げに救いを求めるなら社会よりも強い、ひいては人間より上位な絶対的存在になるんですね。社会が死を認めてくれなくても、‪█‬‪█‬さまが許してくれたら上書きされて僕は救われるわけです。

 まあ死を許可してもらいたい人間はそんなにいないと思いますのでこれは現代の人間の多くに親和性があるわけではないでしょうが、それでも希死念慮という言葉が現れたのも医学が発展して産業が進歩して生存状態を簡単に維持できるようになった現代特有の現象だと思いますよ*9。そしてもちろん僕の宗教みたいな死を救いにする宗教も現代特有の気がします。死が救いの宗教、流行ると思うよ。僕は。‪█‬‪█‬さまの概念は変えられたくないのですごく近しい信頼できる人間以外には██さま以外の神様を信仰してほしいですけど。

 

現代人よ、宗教を持て

 世界は宗教にあふれていますが、宗教にも流行りの傾向があるので、例えば友人の数や恋愛が幸せの指標とされているけど自分にはできない/興味がないといったことが起こり得ます。流行に乗れない少数者たちは宗教なしに不安な生活を送ることになります。‪█‬‪█‬さまに出会う前の僕のように。

 世界が生を賛美しているせいで生きづらいなら死を肯定する宗教を作るように、自分が幸せになるためのしっくりくる物語を世界が与えてくれないなら自分で作ればいいんです。自分の中で何か目標を設定してそれを成し遂げれば幸せになれるということを信じてもいいし、僕のように自分の人生を捧げる何かの存在を作ってもいいです。個人的には御神体や神話があった方が教義に信頼が持てると思いますが、架空の崇拝対象を作るのは難しいでしょうし僕もノウハウがないのでなくてもいいです*10

 宗教というのは信じることがポイントなので、信仰を強めるためにいくつかtipsを書いておきます。

 教義と現実に食い違いが起こると不信が起こるのでやめましょう。目標を設定する場合は遠目の大きな目標の方がいいです。「今日◯◯をできたら幸せになれる」と言って達成したのに何も起こらないと意気消沈しますけど、達成に年単位かかることを目標にしてしまえばその期間は食い違いは起こりませんし、仮に達成できた場合も自分の体の動かし方を理解していると思うので次の宗教も探しやすくなると思います。うつ病でうにゃうにゃしている時に身体を動かすのは難しいですけど、すでに動き始めた体を動かし続けるのはそんなに難しくないので。

 似た話ですが、崇拝対象を作るときは手の届かなさそうな存在にしましょう。██さまとか。アニメキャラでもアイドルでも、一定期間会えなさそうなら誰でもいいです。会えてもいいですが、出会ったのに救ってくれなかったりすると食い違いが起こるので出会いやすいと危険です。好きな女の子を上位存在として崇拝したりするのはもってのほかです。すぐに食い違うので。この辺去年書いた少女崇拝批判に通じますね。

 小さなことで良いので、儀式があるとよいでしょう。毎日一度は信仰告白するとか、教義を短くまとめた言葉を呟いてから寝るとか、鏡を見ながら「成すぞ!!!!!」って言うとか。僕がスマホのパスコードを祈りの所作を象徴する数字に変えたように、日常に組み込めるとベストです。自分が宗教を信仰していることを自分の心に刻み込みましょう。

 

 最後に。サークルクラッシュ同好会に興味があり、アドベントカレンダーを読んでいる人の多くは平均的な人と比べて生きづらさを感じているのだと思います。そんな人たちへ。サークルクラッシュ同好会に来ても君たちは救われない。宗教を持て。

 基本的に生きづらい人たちの流れが淀んでしまうのは宗教、教義、物語の欠如が原因だと僕は考えています。例として「彼女ができないからつらい」みたいな人がいたとして、問題なのは彼女ができないことではなく、彼女ができることでしか満たされない価値観なのだと思います。彼女がなくても幸福となれる教義の下で生きれば基本的には解決します。

 サークルクラッシュ同好会は生きづらい人間の互助会という側面はありますが、良くも悪くも教義はありません。それは一方であなたの生き方を強制、束縛しないという面もありますが、その一方であなたは自分で社会への適応方法を学ばなければいけません*11。もちろん手助けは望めますが、最終的にはあなたの宗教はあなた自身で見つけるしかないのです。皆さんがしあわせに生きていけることを願っています。

 

 

 以上、宗教のお話でした。明日は、、、って確認してみたら空白になってますね、いつの間にか。サークラ同好会のラインで聞いてみたら書いてくれる人が出てきたのでおそらく何か記事は投稿されると思います。お楽しみに。ばいばい。

 

*1:巨大な黒い球体は日常生活の中で強大で絶対的な存在に畏怖を感じながら生きていきましょうという考えです。またいつの日か話す日が来るかもしれません。

*2:でも強い女性以上の特徴づけやその姿の想像はしていません。というかやろうとしてもおぼろげにしか浮かばないんですよね。人間でないから当然といえば当然なのですが。

*3:別に名前を書いちゃいけないわけじゃないんですけど、気分として黒塗りをすることが多いです。この記事でも今後この表記でいきます。

*4:とくに‪█‬‪█‬さまのように意識的に壊す

*5:‪█‬‪█‬さまが高い積み木を崩す方が楽しいと言い切ることはできませんが、どちらにも断定ができないなら僕に納得がいき都合がよい捉え方をした方がいいと考えています

*6:一例です。多くの人間(って誰?)すべてがこの信仰を持っていると主張する意図はないです。

*7:「‪█‬‪█‬さまのために生きてどうするの?」に対してはそれが僕の人生の最終目標「幸せに生きる」と同じなのでそもそもこの質問自体が成り立ちません。極端な話、絵を描くだけで「幸せに生き」られるなら宗教は不要ですね。

*8:いわゆる最後の審判説の方。キリストの死による贖罪という救済もありますが、こちらはあまり関係ないです。

*9:昔も居ただろうけど概念に名前がつくくらい集団的になったのが最近だろうってことね。

*10:従来の宗教はやっぱ信仰対象が明確に存在してたり神話にあふれてるのが強いっすよね。新興宗教も含めて。

*11:サークルクラッシュ同好会を批判する意図はあまりなくて、例えば英気を養うためのシェルターとしては役割は十分にあります。ただ人間の救い方がまだ確立してないだけで。