天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

フリクリ プログレと響を観ました

やあ、どもども、藍鼠だよ。猫しっぽの藍鼠。見ました?猫しっぽ。最近よく着けてるので見かけたら声かけてください。
今日はね、映画を見る日だったんですよ。木曜日は午前で授業が終わるので。昨日直した自転車を爽快に飛ばして、二条駅まで映画を観に行きました。自転車直すと気持ちいいですね、髪を5cmくらいバッサリ切ったような解放感があります。

 

 

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1個目の映画はフリクリ プログレでした。フリクリ吉田寮に入ってから知ったんですけど、そのままDVD借りて20周は観たくらい好きです。そんな大好きな作品なので劇場版には期待と不安が入り混じった複雑な感情を抱いてたんですけど、観ないわけにはいかない、もし駄作に終わってもそれを経験に生きていく、と覚悟して見に行きました。
結果なんですけど、悪い予感が当たっちゃった感じっすね。フリクリ自体が綺麗に幕を閉じた作品だったのに、それをわざわざ再始動して、風呂敷広げて片付けないまま終幕を告げられたような感情です。ハル子を続投させたのにハル子と少年少女があまり関わらない。フリクリ性を保つための要素*1がストーリーと地味に噛み合わない。別のアニメ映画とフリクリの懐古を交互に見せられている感じ。スラム街とか白髪の女の子とか、新要素出して特に語られず中途半端なまま終わったし。考察用なのかな。それにしても考察するのにすら情報が足りてない気がするけど。あと、主人公安易すぎないですか。常に無表情でヘッドホン着用とか、感情が解放されると残酷さや退廃を愛する不健康な享楽性が表に出てくるところとか。別に間違ってはないけど、手垢のついたキャラクター像が主人公なのはどうなんでしょう。
悪い点だけじゃなくて良い点も言いましょうか。4話の後半と5話はすごくよかったですね。他はハル子が主体でしたけど、その辺は少年少女がハル子の言葉を聞き流すでもなく鵜呑みにするでもなく適度に聞きつつ自らで決めて動いてましたからね。そう、フリクリは少年少女の物語なんですよ。ハル子は少年少女を成長させるための非日常的なイレギュラーで*2、メディカルメカニカは天災なのだ。別にハル子を主人公にしてもいいけど、そしたら少年少女が無駄になるか最悪の場合は味が喧嘩しちゃうよね。話がまた悪い方向に逸れましたが、その2話はフリクリ無印の良さをそのまま引き継いでいて本当に良かった。オルタナプログレと名が付いてフリクリらしい部分がいちばん良かったというのも皮肉っぽいですが。
とにかく、綺麗に幕が閉じた作品に手をつけたからにはさらに続編作ってもう一度別の終わり方で構わないのでまた綺麗に終わらせてほしい。フリクリ5くらいまでなら観に行くので。頼むぞ、頼むからな。。。

 


とまあそんな感じで、溢れちゃいそうになりながら感情を落ち着かせて響の上映を待ちました。欲求不満で誰かに話したい気分で満ちていたので一人で見てて良かったと思います。フリクリ大好き人間と観てたら貶しすぎて絶交を言い渡されるまであったと思います。
響は予告から気になっていて、だって天才少女ですよ。最近おさまってきたとはいえ天才少女との邂逅を待ち望んでいる人間として天才少女を題材にした作品なんて観なきゃ嘘ですよ。もし天才少女を見て心が動かなければ決別できるし、魅力を感じたなら以前より理解が深まるわけで、どっちに転んでもいい経験になりそうでしたし。

 


そうこうして1時間後、響を観ました。天才的な文学を描く弱冠15歳の少女、響のお話。フォーマットミスで選考外になりかけた響の新人賞への原稿を拾い上げた編集、響と同じ文芸部に所属し作家を目指す天才作家の娘、響と同じ新人賞を受賞した作家などの人間が響に人生を変えられていきました。観る前からこれは天才少女の話なのか天才少女に狂わされる周囲の人間たちの話なのか気になっていたんですが、たぶん両方なんですね。
天才自身の側面からすると、その異常性というか障害者的側面、障害の塩梅がうまい具合で生まれて天才となったように見えるところがリアルです。ただスペック上天才というわけではなく、実際に存在しそうな天才を描いてるところが良かったです*3。序盤の異常性描写(飛び降りとか)は露骨でしたけど、まあ致し方なしでは。才能といううえではこれ以上ない天才ですが、それを社会に反映できるかというと社会性などが不足していて難しそうなところも良いですね。“天才”と認められるためには突出した才能だけでなくその才能を社会に発揮する才能も必要で、響には後者が足りなかったので天才かつ成長物語になってるんですよね。成長したかというと少し微妙ですが。あと基本アスペみたいな無表情してるのに文学の話するときだけオタクの顔になるのすごく良かった。女優さんってすごい。そこは本当に感動した。
また天才の周りの人間としての側面としては、天才に出会って人生狂わされかけてる人間が何人か出てきたのが良かったですね。例えば天才作家の2世の作家とか。今まで担当編集に指摘を受けながらも認められてきたのにその編集にそれ以上の評価を簡単に貰ってしまう響見て自信が揺らいでたの、本当にかわいそう。強い子だったから立ち直ったけど9割の人間は死んでますからね。天災じゃん*4。しかもその子心折れそうになったり響と向き合えなくなった時期があっても最終的に響の友人として側に居続けようとしてますからね。近くいたら灼かれるのに。強いよ。すごい。あまりクローズアップされなかったけど文芸部の他の部員もこんな天才の成功を近くで見たら一生網膜から消えないですからね。常に自分と響を比べたりするんですよ。かわいそう。頑張ってほしい。頑張らないとカイジの石田さんみたいに悲運の死を遂げたりしちゃうので。。。
作品において主人公が天才である作品は多いですが、その中で「響」が天才の物語である所以は天才性ではなく天才の人間とその周囲の人間を描いてるためなんですよね。例えばドラゴンボールで悟空は天才(というか戦闘民族という生まれ)ですが、描かれるのはその天才的なトップレベルの戦いであって天才の生き様ではないです。ましてや登場人物は世界や宇宙の強豪、天才たちばかりで、一般的な格闘家はあまり出てきません(純血地球人は途中から蚊帳の外になりますが、それは天才を見て自分の夢を諦めたとは違う気がします)。「響」では天才性は割と雑に描かれていますが*5、そもそもそこは重要なポイントではないので問題はさほどないんですね。それよりも社会においての天才の境遇、天才が周りに与える災い(恵み)をちゃんと描いている点がとてもユニークで良かったです。


ところで天才少女との決別ですが、できました。響のこと呼ぶ時に天才少女じゃなくて天才って呼んでるんですよ。僕にしかわからない分け方だとおもいますが、天才少女には絶対性があって天才には人間性があるので、響を見て天才だと思ったということは才気ある女の子のことをちゃんと人間として見れたんですよ。嬉しいですね。

 

 

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はい、分かんない話終わり。これは帰りにとうひちで食べたラーメンです。鶏醤油ラーメンが鬼美味いので京都の人間は出る前に食べてください。でも今日食べた煮干しラーメンは藍レベルで鬼美味いほどではなかったです。初めてラーメンとご飯を食べましたがラーメンっておかずになるものですね。この話も京都の一部の人間しか分からないですね。まあいいや。それでは、バーチャル猫耳少女の藍鼠でしたー、またねー。

*1:額から出る謎のメカ、メカとのバトル、謎めいたお姉さんハル子、キメの楽曲(LAST DINOSAURやLITTLE BUSTERS、I think,I can)の使い方など

*2:念のため言うと決して教育者ではない。面白く育つように誘導はするが、そいつが思うように育たなければ放棄する人間なので

*3:漫画で天才設定が付いた女の子、ミレニアム問題を解いたという設定以外に普通の女の子と何も性格が変わらなかったりしますからね。。。

*4:ダジャレじゃなくて突然起こる避けられようのない災いという意味の言葉がこれしかない

*5:ベテラン作家に響の作品だけ褒めさせる、響のデビュー作が芥川賞直木賞受賞など、天才らしいことがうかがえるだけで天才性を観客が実感できない