天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

サー同のアドベントカレンダーに寄稿したら拗らせが発生した話

 こんにちは。導入の文章を書くのがダルいのですが、そういうときは前略と書くと良いらしいので前略します。前略。
 
 去る12月11日にサークルクラッシュ同好会のアドベントカレンダー企画にブログ記事を投稿しました。拗らせ自分語りとのことでしたがほぼ自分語りのみです。不登校してた時期から大学に入学するまでの色々を書いてます。これ以上の概説はダルいのでリンク先で読んでください。何かもう色々ダルいです。そもそも精神的に不安定だからブログを書くんですよ。察してくれ。
 
 僕は自分で自分の文章の評価があまりできないのですが、自己評価が低いせいで他の人たちの記事より質は悪いだろうと考えていました。まあ1,2RT、6favくらいだろうなあと。普段ほぼリツイートはされず、されてもその程度なので。実際は予想を大きく超えて9RTと(僕のツイートの中では)大きく拡散され、47favもの承認をいただきました。フォロワー数の多いホリィ・センなどにRTされたのは大きいでしょうが、二次RT(RTされた先でさらにRTされる行為)の数も少なくないのでおそらく文章の質は僕が思っていたよりもよかったのでしょう。あとフォロワーが12人増えました。先ほど数字の話ばかりでいやらしいですが、今までになかったレベルで評価されたというのを数字でしか表せないので容赦してください。
 初めは思っていたより承認されたことに小躍りしていたのですが、少しずつ増えていくfav,フォロワー数に何か不安を覚えるようになって来ました。その不安の根源はおそらく認識と現実のギャップだろうと思います。自分が書ける文章のレベルはだいたいこれくらいまで、と僕は認識していますが、実際に与えられた評価を基準に考えると僕の文章のレベルは認識していた限界よりも大きく上だと判断されました。例えば自分の限界の認識を100良さだとすると、僕の記事は250良さと判定された感じです。もうパニックですよ。
 人間は自分の認識上ありえないという状況に陥ると混乱します。僕の場合は「自分が多くの人間から承認されることは無い」「だが実際に承認されてしまった」の矛盾に直面し、その矛盾を解消するために「自分の記事の文章が意図せず偶然よいものになってしまった」だとか「僕の人間性の上澄み液であるブログ記事を読んで上澄み液を僕の人間性全体だと思い込まれてしまった」などという仮説を立ててしまいました。また、いくら自分の評価が過大評価されていると知っていてもその評価が下がることには怯えてしまうためその過大評価を保とうとしてしまいます。その結果、新規のフォロワー含め、周りの人間に対して自分を誇張し偽らなければいけない気分になってしまいました。そもそも自分の呟きたいことは何でも呟くという目的でTwitterを始めたというのにいつのまにかがんじがらめになっている。今ではそこそこ落ち着きましたが今でも普段どおりのツイートをすると落胆されてしまうのではと感じてしまいちょっと呟きにくくなっています。
 
 今回の混乱を見ると何か一つの間違った前提から間違った結果が大量に導かれている感じがしますね。もしかしてこれは「拗らせ」なのでは? 記事の中で「僕拗らせてないかもしれないですねハハハ」的なことを書きましたが時間差で拗らせがやってくるとは思って無かったです。
 さて、ほぼ確実に間違いの原点は「自分が多くの人間に評価される人間ではない」という認識なんでしょう。自分でもその前提がおかしいことは分かっていますが、心の底では分かっていないと言うのでしょうか、自分の意識で操作できない深い部分ではまだちゃんとそれを理解してない気がします。
 
 さて、何故自分の過小評価から生ずる問題が今になって表れたのでしょうか。そもそも僕は不登校などのために一人で過ごす時間が比較的長かったため、集団の一部として認められたり自分の言動を評価されることが少なかったです。特別支援学級の級友や通信制高校の友人など、所属している集団はありましたが恒常的に承認される環境ではなく、そういった環境に対しての自衛として「自分は多くの人間から承認をいただける存在ではない」と承認されたい自己を押し込めたのだと思います。自分が大した存在ではないのなら誰にも評価されなくても仕方ない。よくある合理化ですね。一応多少の承認をもらえた場合の逃げ道として”多くの人間から”という文言を追加して「ちょっとの承認はセーフ」という論を使えるようにしていますね。一応全く承認されなければ死んでしまうという自覚もありましたし。
 そうやって一人でも生きていける自己を作り上げた僕ですが、浪人時代にTwitterを始めてから人間に興味を持ち、大学で積極的に人間に会い、高校時代までよりだいぶアクティブになっていきました。そうやってたくさんの人間と関わりながら一人ぼっちの時代の価値観を流用してたらそりゃあ矛盾もしますよ。
 この後もいろんな人間と関わっていきたいし、Twitterや現実世界で言いたいことを言っていくのもやめたくないです。それならもう「僕は人間性次第で承認されうる存在である」と自己認識を書き換えるしかないんですね。
 
 いや、でも、話はそう簡単ではないんですよ。今まで心の奥深くに閉じ込めていた承認欲求をある程度自由にするんです。承認がなければ生きていけず、薬物濫用者のように承認を執拗に追い求める承認欲求オバケになる可能性があります。僕はそうなるのが怖いです。それゆえに半月以上経った今もアドベントカレンダーの承認を受け止めきれていません。
 プールに入るとき、足先からゆっくり入って身体を慣らしていくように、承認も段階的に少しずつ受け入れればきっと正しく承認と付き合える気がします。でも僕には方法が分かりません。このブログ記事もそうですが、たくさん文章を書いて承認経験を増やせばそれだけで自分への承認を受け入れられるのでしょうか。
 よく分からないので承認してくれた方にお礼を言うことから始めようと思います。個別に記事に反応を下さった方には返答しましたが、新規フォロワーの確認はしていなかったのでフォローバックをしてみようと思います。
 
 何かどうすればいいかわからなくなってきましたね。とりあえず2018年の抱負として「周りから承認を十分いただく」を挙げて終わりにしようと思います。これは認めてもらえるレベルに成長したいという目標だけでなく、周りからの評価を承認として自分で認められるようになるという目的も含まれてます。やっていきたいですね。
 最後になりましたが今年も藍鼠をよろしくお願いします。頑張るので(頑張っていれば許されるという話ではない)。