天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

半生記

 こんにちは。今日は僕のこれまでの人生について語ろうと思います。自分について何も明かさない人が人から好かれるはずがないと何となく感じたからです。自分を臆さず曝け出せる人になりたいからです。全部曝け出すのは何か違う気もしますが、気にしません。今日は自暴自棄の日なので。

 

 

・~小学生

 

 いきなりでなんですが、ほとんど記憶がありません。覚えている限りを列挙しておきます。

 保育園時代。家にあったスーパーファミコンのゴルフゲームにハマりゴルフに興味を持つ。結局6年生までゴルフを続けた。同年代の男の子となじめず女の子とよく遊ぶ。

 小学一年。担任の顔を覚えていない。給食に鯨が出た。

 小学二年。担任は今でも覚えている。国語の時間に絵本を読んでくれる良い先生だった。他には教室にベランダがあったことしか覚えていない。

 小学三年。担任が変わりおばさんの先生になる。えこひいきをする先生だった。成績がよかったからか僕はひいきされる側だったが、出来のよくない子が敵視されてかわいそうだと思った。雷恐怖症になる(これは二年のときかもしれないし四年のときかもしれない)。一種のパニック障害だと思われる。授業中に雷が鳴ると怖くて耳をふさぎ全く授業が聞けなかった。

 小学四年。この年はほとんど記憶がない。休み時間で教室で本を読んでいる一枚の写真のような記憶だけがある。本が好きだったかは覚えていない。どの子と遊んでいたかもあまり記憶がない。

 小学五年。いじめに遭う。あまり何をされたかは覚えていない。風呂で過呼吸になったところ、親が異常に気づき心配する。何日か行ったり行かなかったりを繰り返したのちに不登校になる。それからは特に面白いことがなかったのか記憶がない。ゲームは学校が終わる時間になってからと言われていたのでただひたすら暇な昼間の時間を過ごしていたことだけ覚えている。

 小学六年。不登校。ひたすら無為に過ごす。記憶があるかもしれないが小五のものなのか中一のものなのか判別がつかない。多分この頃に大きな病院を紹介してもらったはず。この頃から反抗期なのか父親と対立しだす。自分に甘い母親に逃げていたのかもしれない。

 

 小学生の頃にいじめに遭ったことと記憶がほとんどないことを言うと抑圧かなと思われることが多いのですが、普通に四年までは楽しく過ごしてました。そのはずです。そういうのと関係せず単純に古い記憶がほとんどないです。頭の中に日付のついてない写真がいくつか点在しているだけ、という感じ。

 

・中学生、高校生

 

 中学一年。自閉症の診断が出る。雷恐怖症が悪化し雨や風でもパニックになるようになる。いきなり中学に復帰しようとし一日で挫折する。

 

 中学二年。病院にて不登校の子が集まるスポーツ療法を紹介してもらう。そこで同じく不登校の子と触れ合う。少し自信がつく。父親との対立が激しくなり口を利かなくなる。

 

 中学三年。二学期から特別支援学級に通う。晴れた日にはたまに学校へ出向き特別支援学級の旧友と遊ぶ。またさらに自信が戻る。この頃との友人は今でも仲が良い人が5人ほどいる。絵を描きはじめる。

 

 高校一年。通信制高校に進む。通信制ではあるがキャンパスが存在しそこで授業を受けられるという高校である。中学とは違いヤンキー的な輩が多く尻込みする。初めは雨の日以外は出向いていたがまた引きこもりだす。父親との対立の末父親が別居しだす。

 

 高校二年。気が向いて高校に行ったときに気が合う子を見つける。その子繋がりで何人か友達が出来る。また高校に行きだす。ハチクロを読んで美大に憧れ美大予備校に行く。夏ごろから大学進学のために予備校にも通い始める。コンピューターが得意なので何となく工学部を志望した。流石に不便だと思い始めたので病院へ行き悪天候恐怖症を治す。頑張ったといえば頑張って治した気もするがあまり覚えていない。

 

 高校三年。ひたすらに仲良しメンバーと遊ぶ。ただひたすらに。あのころは何も考えずに楽しく過ごせていたなあと今思う。一方で勉強もやった。伸びが微妙だったのと、周りの才能との差に絶望して美大は諦めた。何とか高校卒業レベルまでの知識を得て、九大を目指す。センターで失敗したのでセンター比の少ない京大を目指す。1ヶ月の二次対策では流石に足りず、200点以上足りずに落ちる。正直なめてた気もするし、一年の浪人くらいは視野に入れていた気もする。あまり覚えてない。

 

 ここまで書いてきて思ったのだが、どの記憶も客観的で自分のその時の気持ちがない。このときに何をやった、というのは覚えているのだが、その時どういうことを感じたかというのが全く残ってないのだ。この傾向は今でも続いている。というか全く自分の気持ちが分からない。昔は分かっていた気がする。おそらく自分の気持ちを失ったというよりは気持ちの読み取り部分がぶっ壊れたのだろう。話を戻そう。

 

・浪人期

 

 一浪目。突貫工事レベルだった学問知識を一年掛けて再構成する。何とか京大模試でA判定を取れるレベルまでになる。本を読むことの楽しさに気づく。くいなちゃんに惹かれジェネラリストを目指すようになる。色んなジャンルの新書を読み漁った。といっても月に1,2冊程度だが。6月にツイッターをはじめる。少しずつ自分の言葉でツイートを呟くようになったが、まだこの頃は常識や既存の価値観に囚われているような気がする。京大は7点足りず落ちる。ついでに神戸大も。このときに大きく凹んだことは未だに覚えている。浪人した友人たちも受かり取り残されたような気持ちになった。

 

 二浪目。やることがない。一浪目でほとんど勉強を終えてしまったため、ひたすら過去問を解く。週休四日、一日五時間の勉強で残りは本を読んだりボーっとしていたりしていた。別に余裕ぶっこいていたわけではなく、僕は長期間開いたブランクのせいかあまり長時間集中できないのだ。これについては今でもその傾向はある。夏に工学部から総合人間学部に志望を変える。一浪のときに総合人間学部を志望していたら受かっていたことが判明し二度目の絶望を食らう。この頃から猫耳少女に憧れ自称しだす。この頃は京都大学というものに希望、幻想を抱いていたために京都大学に行ったら猫耳を付けるんだ、などと考えていた。受験ではようやく受かり、憧れの京大生となる。不登校から約10年、ようやくまともな道に戻れたと感じた。また父親と数年ぶりに会い復縁する。

 

 浪人中は覚醒期です。本を読み始めたりツイッターでいろんな人を見るうちに自己がようやく芽生え始めたような気がします。今でもやっぱり高校までのブランクは大きいと考えていて、人との経験の差を見せ付けられるといつも惜しく感じてしまいます。あと劣等感も。でも頑張るしかないのです。やっていきましょう。

 

・大学生

 

 大学一年。念願の京大生になる。きっとあの奇特な試験を乗り越えてきたんだから頭がいいんだろうな。面白い話をいっぱいしてくれるんだろうな。見通しが甘かった。大学生が馬鹿なことは前々から知ってはいたが、京大にまで蔓延っているとは思わなかった。授業中の私語や個人を埋没させたコミュニケーションを嫌というほど見せ付けられ、それが人間嫌いと合わさり精神を病む。その一方で一部のサークルなどにおいては興味ある人間もいて、京都にきてよかったと感じることもあった。

 大学の授業は自分にとっては予習復習で手一杯になり、他の何も出来なくなるほど手一杯になってしまう。本も読めなくなり大学を嫌い始める。でも奨学金を貰うからには辞められないし、社会でやっていくためには大学を出なければならないと言い聞かせ何とか授業には出て単位もとる。

 また吉田寮に入寮しある程度自治にかかわる。面白い人間が多い一方で自分の理解の範疇を超える鵺のような人間に遭遇し精神を狂わすこともあった。

 あとは自炊を始めて料理が好きになる。余裕のない生活の中で時間を見つけては料理を楽しむようになった。少しずつみんなを集めて料理することもはじめ、料理好きというポジションになる。

 

 大学二年。記憶が曖昧になりだす。先週の授業で何をやったか覚えていない。自分が何をしたいかも覚えていない。何も分からない。感情が、感性が欲しい。

 大学で心理士の先生を紹介してもらい10年来のカウンセリングを始める。心理士の先生の提案により日記を書きはじめる。これは自己の見直しにちょうどいい気もするがツイッターとの違いがあるかといわれると微妙な気もする。

 猫耳を買い、装着しだす。別に猫耳少女に猫耳は不要だと考えていたが、あると気分が確かに猫耳少女的なものに変わってくる。しかし猫耳自体に強いアイデンティティ性があるため、どう付き合っていくかは考え中である。まだ授業にも付けて行ってはいない。

 天才少女に会うために色んな集団に顔を出している。京都にはいそうな気がする。でも天才少女が所属する集団って何?天才少女って集団所属するの?広義の天才少女?狭義の天才少女?そもそも天才少女って僕と話してくれるの?分からないけれどやっていく。

 大学一年生のときとは違って人間に絶望することもなくなったので現在はある程度精神は安定している。しかし精神を不安定にすることが自己の形成につながるような気がしてむしろ狂おうかと考えたりもしている。狂うことで初めて生への道が開かれるのだ。とか言ってたらまた精神を病み始めたりしている。薬を飲み始め、じきに憧れ(?)だったSNRIも処方してもらえたのだが、全部面倒くさくなり飲むのを止める。カウンセリングや通院もだるいのでやめるつもり。薬無しでもちょっと辛いの我慢したら何とかなるでしょう。辛いのは自分だけという思い込みから解放されたし。

 

 こうして現在に至ります。大学に行けばまっとうになれると思っていましたが、見通しが甘かったですね。真っ当なルートに戻ったらそれがゴールではなく、社会とずれてしまった自分が社会の中でどう適応していくかがずっと課題になりそうな気がします。頑張るしかないですね。頑張って社会を滅ぼしましょう。