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天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

ドールハウスに住みたいという話

 突然ですが、僕にはドールハウスに住みたいという欲求があります。女の子が遊ぶあのドールハウスです。

 Twitterからこのブログに飛ぶ人が多そうですし多分ご存知なんじゃないですかね。

 これについて、毎回他人に共感を求めるのですが、全く共感が得られません。殆ど期待もしてないのですが。

 せめて理屈の上でもドールハウスへの思いを理解して欲しいですし、ちょっと色々あってドールハウス欲が昂ってきたのでこの欲求について書き殴ろうと思います。

 

 「そもそも、ドールハウスに住むって何?住めないよね?」

 ごもっともです。「ドールハウスに住む」という行為には言外に「”縮小して”ドールハウスに住みたい」という前提が含まれています。僕の他の欲求として「人形サイズにまで小さくなりたい」というのがあり、これが叶った後にやりたいことがドールハウスに住むこと、となっている訳です。

 そんなわけで、まずはこちらの縮小欲求について説明しましょう。

 

 結論から言うと、縮小化は楽しいのです。

 小さくなれば、周りの全てが変わります。不思議の国のアリスから例を引くと、草花は木のように頭上にそびえ、きのこは椅子代わりになり、イモムシが同じくらいのサイズに見えます。メルヘンチックな話を抜きにしても、大きな変化があることに違いはありません。部屋はテニスコートのように広く感じるし、普段は二段飛ばしで昇っている階段は一段が自分の身長よりも高くなります。いつも可愛がっている猫からは逆に可愛がられるでしょう(事によると喰われる?)。

 そんな、スリルに満ちた冒険の世界。それを可能にするのが縮小化だと、僕は思うのです。

 不思議の国のアリスを読んでわくわくしたことのある人なら、何度も体が小さくなる妄想を重ねれば同意してくれると思っております。思うに、このような妄想をしない人間が多すぎるのです。妄想すれば楽しめる人は少なからずいるでしょうに。

 

 さて、次はドールハウスについてです。

 小さくなったあとすぐは、巨大な世界の中で上記の通りスリルがあり楽しい時間を過ごせるでしょうが、次第にその世界に苛まれるようになります。世界は人間に都合が良いようにできていて、小さな自分にはどうも不相応です。階段を昇るのも一苦労で、自分が矮小な存在だということを思い知らされます。しかも、逃げ場はありません。何処へ行っても巨大な世界です。

 そんな小人の唯一の避難場所がドールハウスなのです。ドールハウスは小さくなった人に比較的相応なサイズで、まるで小人のために作られたように感ぜられます。ここではきっと小人も心を安らげられることでしょう。

 ところで、ドールハウスは大抵、壁の一面が無いです。実はこれもドールハウスのよさの一つなのです。その理由はドールハウスの中から外を見た景色を想像するとわかります。

 想像してみましょう。あなたが普段過ごしている部屋。その壁の一面が完全にぶち抜かれます。さらに、その奥には今居る部屋より十数倍大きな部屋が続いています。壁の一面を境界にして、大きな世界と小さな世界が繋がっていることが自然と理解できると思います。外から中を見たときにもその境界があることは分かりますが、中から外を見るときには心に迫ってくる勢いで強く感じられるのではないでしょうか。この非日常的な境界面がまた良いのです。

 さらに、先にも述べたように、ドールハウスの中は小人専用の場所です。しかし、その空間の一面は開かれ、その空間の安定性は風前の灯です。大きな世界の物がドールハウスに入ってくれば、たちまちその空間は大きな世界のものになってしまうでしょう。そういう意味では、この空間は小さな世界と大きな世界のどちらにも属しません。

 ドールハウスの魅力は、一面が開けていることにより、大きい世界と小さい世界が会合すること、小さな世界と大きな世界が微妙に混ざり合った不安定で不思議な空間が作られていることにあるのです。不安定で不思議、なんとも心惹かれる文言ではないでしょうか。僕はそこに夢を見ているのです。

 

 これだけの文量では魅力を全て書ききれないのですが、主な理由はこのあたりです。理解していただけたでしょうか。何を言ってるか分からない人から、共感しがたい人へとランクアップしてもらえればそれだけで幸いです。それだけでドールハウス愛も叫びやすくなるものなので。理解されないのは地味に辛い物なのですよ。