天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

半生記

 こんにちは。今日は僕のこれまでの人生について語ろうと思います。自分について何も明かさない人が人から好かれるはずがないと何となく感じたからです。自分を臆さず曝け出せる人になりたいからです。全部曝け出すのは何か違う気もしますが、気にしません。今日は自暴自棄の日なので。

 

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FireflySimulatorについての説明と考察

 こんにちは。寒いですか?京都は寒いです。風は通さないけれど温度はガンガン通す壁というのは壁としての機能を保っていると言えるのでしょうか。ギリギリなラインだと思います。

 

 今日は蛍の同調現象についてのお話です。皆さん蛍は見たことありますか。僕は2年前に見た気がするのですがどんな感じだったか忘れてしまいました。どうやら蛍はランダムに光るのではなく同調するのだそうです。その同調現象は昔から有名な一方で、どういった方法で互いに同調しているかはまだ分かっていないそうです。これを聞いて興味をもったので蛍がどんなアルゴリズムで動けば同調するのかを調べてみることにしました。僕はモデル化が好きなのでとりあえずモデル化をしてどんなアルゴリズムならちゃんと同期するのか必要条件だけでも調べてみることにしました。

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低温調理のお話

 どうも、こんにちは。前回の記事から中三日という短いスパンです。すごいですね。ブログの当初の目的としての「自分の考えを書く」から料理を挙げるブログに変わりそうです。そもそも僕は考えを文字に起こすのが苦手なんだということに最近気づきました。どうしようもないですね。

 

 さて、先日、小林銅蟲氏の漫画「めしにしましょう」1巻が発売されました。めでたいことです。あの人は少しずつ一般向けっぽい漫画が描けるようになっていますね。小林銅蟲っぽさは残ってるからすごいです。頑張ってほしい。

 で、その漫画の中には低温調理という調理法が3度も出てきます。低温調理とは、60弱~65℃を保った湯の中に肉を放り込んで数時間以上放置するという調理法です。もともと興味はあったのですが、この漫画でしつこく登場したのが決定打となって非常にやってみたくなり、色々方法を探し漫画に出てきたローストビーフを調理してみることにしました。(この話は第1話なので無料で読むことが出来ます。)

www.moae.jp

 

 

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ビーフカレーを作りましたというお話

 こんにちは。ブログ記事の最初の1文字が「こ」だった場合、続く言葉の74%は「んにちは」だという研究結果が出ているそうです。この話は今作りました。多分12%で「んにちわ」8%で「んばんわ」あたりと思います。

 

 さて、昨日どのスーパーがどういった品揃えで、どういった価格設定なのかを色々調べていたわけです。肉屋にも行ってみました。ラムチョップを見つけたんですけどg500円もするんですね。自分が良く行くスーパーの良し悪しが分かってよかったです。やはりものは相対的に見なくては。

 で、京大生におなじみグレースたなかの肉売り場にてこんなものを見つけました。

 

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 牛肉がg100円。ヤバイ。あの贅沢品で有名な牛肉が。お手軽に。見た瞬間に衝撃が走り、脳が数秒演算した後、カレーを作ることが確定事項となりました。あまりの安さに帰り着くまで不安症状かのように動悸と言葉にならない呻き声が止まらなかったです。(ただ、聞くところによるとグレースたなかではときどきこの価格になるそうです。)

 それで、カレー粉やスパイス数種もあることだし市販のルーを使わずに作ってみることにしました。レシピ本にあるビーフカレーのレシピとクックパッドで見つけたガチっぽいレシピ(http://cookpad.com/recipe/3614878)を参考にしつつ出来るかなと。

 

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「蜜のあわれ」を観て

 初めに言っておくと、これは映画「蜜のあわれ」の感想、レビューなどではありません。この映画を観て心に浮かんだものを書きつづったものに過ぎず、あまり内容とは関係ありません。

 

 先日、僕は藍鼠として初めて映画館へ行きました。藍鼠さんはそこで何らかの感慨を抱いたようで、映画館からの帰りに考えを整理するために長々と文章を書きながら帰りました。

 そもそも思考の整理用、つまり自分のために書いた文章ですし、加えて当時は思考の多くを無意識が占めていて要領を得ない文体になりましたが、なんとなく公開しようと思ったので公開します。

 

 

 上映が終わった。内容ははっきりと覚えていない。金魚やおじさまがどのような人物だったか、原作との相違点、それどころか自分がどのような感想を抱いたのかもよく分からない。唯なにも分からないという気分とそれに付随する不安感が残っている。だが何とか内容を思い出して感想を綴ってみようと思う。

 初め、金魚は何にも染まっていない、あどけない無垢な少女に見えた(ような気がする。要ははっきり覚えていないのだ)。それを見て僕は、これは少女のイデアにかなり近いなと感じた。理想像に近すぎて現実感がなかったのだが、映画なのだからこれくらいがいい塩梅なのだろうな、と感じたのを覚えている。

 その後は色々な人間が出てきて、色々な言葉を発していった。その内容は詳しく覚えてはいないのだが、それを理解できない不安からジーンズを強く握りしめてしまったことは覚えている。

 金魚は色々な人間に出会い様々な経験をしていった。彼女は世界が自分の好むようにはならないことを知り、フラストレーションを覚えていったように僕には見えた。だがそれは僕が彼女に自分を重ねすぎているからなのだろうか。それもまた分からない。私を不安にさせていく。

 話を戻そう。後半、金魚がおじさまと口論をするシーンが何度か見られる。そこには完全だった少女は居ない。金魚もおじさまも、感情的になり、醜く自分勝手なことを口走っていた。しかし、僕は何故かそこに美しさのようなもの(名状しがたい気持ち。美しい、尊い、愛しさなどいう表現が近い気がするが微妙に違う気もする)を感じた。人間が駄目なことを嘆いているいつもの僕とは明らかに違う。その不可解な経験を反芻しているうちに思い浮かんだのは「桜は散りゆくからこそ儚く美しいのだ」という言葉だった。少女もまた、永遠に少女ではないからこそ美しいのだろうか。それとも、それはまた別のイデアなのかもしれない。というのも、同じ美しさを僕はおじさまにも感じたからである。彼らは愚かであったが、しかしそれでも生きていこうとしていた。そこに僕は何かしらの美しさを感じたのをかもしれない。人間は不完全な存在なのであり、ゆえに僕が完全でありたいと望むのは間違っているなどと考えたような気もする。(気もする、というのはその辺りの記憶は曖昧で、類推によって補っている部分もあるからである。)

 そうこうしている内に幕が閉じた。照明が明るくなったとき、僕は自分が自分でもよく分からない感慨を抱いているのを覚えた。丁度夢から覚めたときのように、その感慨が存在していることから何かしらを体験したことは確かなのだが、何を体験したかは分からなかった。本当はその場で自我が曖昧な時間をもっと過ごしていたかったのだが、退出を急かすかのように清掃員が入ってきたので僕は現実に引き戻されざるを得なくなってしまった。それが少し残念である。

 そして今、僕は自転車を押しながらこの文章を書いている。一時間以上経っているから5kmは歩いたのだろう。何とか思考を絞り出しては見たが、要領を得ていない文章になってしまった気がしてならない。無意識的な部分を書きだそうとしているので当然ではあるのだけれど。

 総括すると、初めての映画館は良い体験になったものと思われる。僕が失望してはいないことから、1,500円を払う価値はあったと考えていると推定できるし、このように意識を排除した思索もできた。また何か別の映画を観に行ってみたい。

恋愛についての些細な雑談

「竹中さん」

「なんですか」

「突然ですけど、僕、恋愛したいんですよ」

「はあ」

「恋愛という物をね、体験してみたいんですよ」

「二度も言わなくていいですよ。

 ...一応聞いてあげますけど、何でいきなりそんなことを?」

「何でって、ええと、誰かを好きになるってことはさ、その人のものの見方や考え方、つまりはその人の価値観が好きってことだろう?」

「まあ、そうですね」

「交際関係を持てば、相手は天衣無縫というか、ありのままの価値観を見せてくれるだろう?僕の好きな人の、僕の好きな価値観が純粋なまま氾濫する中で漂う。そう考えるだけでも素晴らしくないかい?しかも、相手から見ても僕の価値観が溢れているようであればだよ、僕の価値観は相手の価値観に侵され、相手の価値観は僕の価値観に侵されて、結果互いの価値観は交じり合うんだ!二人がお互いに価値観を変えあうなんてきっと薬をやったような多幸感が味わえると思わないかい!?」

「ちょっと、まず落ち着いて、後生ですから。声も大きいですし...

 っていうか、ずいぶん変わった見方をしますね。山本さん彼女居たことないでしょう?」

「ああ、まだ無いね」

「わたし彼氏居ますけど、いま仰ったことは全然分かんないですよ」

「そうなのかい?」

「好きな人の価値観が溢れる中に居るのが幸せ、ってのはまあ、分からなくはないですけど、お互いに価値観を変えあう幸せなんてのはないですね、おそらくは。山本さんもそう思うかどうかは分からないですけど」

「うーん、そうなのかあ。人の価値観を変えるのってさ、まるで相手の運命を変えるようで興奮しない?」

「んーと、理屈はまあ、分かりますけど。でもたかがカップルくらいで大それた変わり方なんてありそうにないですよ、やっぱり。

 もしかすると、恋に恋したりしてないですか?」

「否定はしないね。っていうか多分そうだろうと自分でも思うよ。竹中さんは大学生にもなった人間が恋に恋してるのをどう思う?やっぱり恥ずかしいことかな」

「いいんじゃないですか、自覚もしてるみたいですし。さっきみたいに突然興奮したりはしないで欲しいですけど。

 というか、むしろ恋に恋できるときにやっておけばいいんじゃないですか?恋に恋するのって恋愛したこと無い人の特権だと思いますよ。無知なものへの憧れに勝る物は早々ないですしね」

「ふむ、確かにね。でも、それでも待ちきれないんだよ」

「分かりますけど、がっつかないほうが良いですよ。そうやって焦ってみんな恋に失望するんですから。恋への恋で満足して、これぞという人が見つかるまでは待ち続けるくらいが良いと思いますよ。」

「うーん、そうかなあ、恋愛に失望するほど期待はしてないと思うけどな」

「そんなことないですよ、人間は恋愛を自分に都合が良いように捉えてしまうんですから」

「さっきから随分悲観的だねえ。ところで、そこまで言うってことは君の彼氏は”これぞという人”ではないのかな」

「嫌な洞察力ですね。それがどうかしましたか」

「それならどうして失望してもなお付き合うんだい?答えたくないのならば答えなくてもいいけれど...」

「言うほど嫌じゃないから大丈夫ですよ。何ででしょうね。多分煙草や酒と同じなんですよ、理性が止めろと言ったからって簡単に止められるものじゃあないんです」

「ほう、興味深いね、理性で止められないなんて。その感覚はぜひ体験してみたいな」

「なら恋しましょう、そして山本さんも目一杯悩めばいいんですよ」

「おお、いいねえ。しかし竹中さんは面白い見方してるね、君となら付き合ってもいいかもしれない」

「私は嫌です」

「即答かい」

「即答です。この距離感が丁度いいんですよ、私は」

「残念だな、半分は本気だったのだけどね」

ドールハウスに住みたいという話

 突然ですが、僕にはドールハウスに住みたいという欲求があります。女の子が遊ぶあのドールハウスです。

 Twitterからこのブログに飛ぶ人が多そうですし多分ご存知なんじゃないですかね。

 これについて、毎回他人に共感を求めるのですが、全く共感が得られません。殆ど期待もしてないのですが。

 せめて理屈の上でもドールハウスへの思いを理解して欲しいですし、ちょっと色々あってドールハウス欲が昂ってきたのでこの欲求について書き殴ろうと思います。

 

 「そもそも、ドールハウスに住むって何?住めないよね?」

 ごもっともです。「ドールハウスに住む」という行為には言外に「”縮小して”ドールハウスに住みたい」という前提が含まれています。僕の他の欲求として「人形サイズにまで小さくなりたい」というのがあり、これが叶った後にやりたいことがドールハウスに住むこと、となっている訳です。

 そんなわけで、まずはこちらの縮小欲求について説明しましょう。

 

 結論から言うと、縮小化は楽しいのです。

 小さくなれば、周りの全てが変わります。不思議の国のアリスから例を引くと、草花は木のように頭上にそびえ、きのこは椅子代わりになり、イモムシが同じくらいのサイズに見えます。メルヘンチックな話を抜きにしても、大きな変化があることに違いはありません。部屋はテニスコートのように広く感じるし、普段は二段飛ばしで昇っている階段は一段が自分の身長よりも高くなります。いつも可愛がっている猫からは逆に可愛がられるでしょう(事によると喰われる?)。

 そんな、スリルに満ちた冒険の世界。それを可能にするのが縮小化だと、僕は思うのです。

 不思議の国のアリスを読んでわくわくしたことのある人なら、何度も体が小さくなる妄想を重ねれば同意してくれると思っております。思うに、このような妄想をしない人間が多すぎるのです。妄想すれば楽しめる人は少なからずいるでしょうに。

 

 さて、次はドールハウスについてです。

 小さくなったあとすぐは、巨大な世界の中で上記の通りスリルがあり楽しい時間を過ごせるでしょうが、次第にその世界に苛まれるようになります。世界は人間に都合が良いようにできていて、小さな自分にはどうも不相応です。階段を昇るのも一苦労で、自分が矮小な存在だということを思い知らされます。しかも、逃げ場はありません。何処へ行っても巨大な世界です。

 そんな小人の唯一の避難場所がドールハウスなのです。ドールハウスは小さくなった人に比較的相応なサイズで、まるで小人のために作られたように感ぜられます。ここではきっと小人も心を安らげられることでしょう。

 ところで、ドールハウスは大抵、壁の一面が無いです。実はこれもドールハウスのよさの一つなのです。その理由はドールハウスの中から外を見た景色を想像するとわかります。

 想像してみましょう。あなたが普段過ごしている部屋。その壁の一面が完全にぶち抜かれます。さらに、その奥には今居る部屋より十数倍大きな部屋が続いています。壁の一面を境界にして、大きな世界と小さな世界が繋がっていることが自然と理解できると思います。外から中を見たときにもその境界があることは分かりますが、中から外を見るときには心に迫ってくる勢いで強く感じられるのではないでしょうか。この非日常的な境界面がまた良いのです。

 さらに、先にも述べたように、ドールハウスの中は小人専用の場所です。しかし、その空間の一面は開かれ、その空間の安定性は風前の灯です。大きな世界の物がドールハウスに入ってくれば、たちまちその空間は大きな世界のものになってしまうでしょう。そういう意味では、この空間は小さな世界と大きな世界のどちらにも属しません。

 ドールハウスの魅力は、一面が開けていることにより、大きい世界と小さい世界が会合すること、小さな世界と大きな世界が微妙に混ざり合った不安定で不思議な空間が作られていることにあるのです。不安定で不思議、なんとも心惹かれる文言ではないでしょうか。僕はそこに夢を見ているのです。

 

 これだけの文量では魅力を全て書ききれないのですが、主な理由はこのあたりです。理解していただけたでしょうか。何を言ってるか分からない人から、共感しがたい人へとランクアップしてもらえればそれだけで幸いです。それだけでドールハウス愛も叫びやすくなるものなので。理解されないのは地味に辛い物なのですよ。