天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

171003

 今日、話の流れで「性器の有無によって男性と女性を分けるとした場合~」という発言をしたとき、「性器は男性器だけでなく女性器もあるのだから男性器を指して性器というのは男性中心主義的だから気をつけたほうがいいのでは。多分君にそういうつもりはないのだろうし僕自身もフェミニストではないけど気にする人は気にするから」と指摘された。そのときには言い換えれば済むことだと思ったから頷いたがあとあと考えたらその指摘が少しずつ気持ち悪く思えてきた。

 男性器のみを指して性器というのが男性中心主義的だというのは分からなくもない。それが嫌だから止めろと言う人がいたら僕も止める。それにちゃんと男性器と言えば済む話なのでその指摘にも従う。気持ち悪いのはその発言の背景にあるであろう「マイノリティに配慮すべし」という考えが透けて見えたからだ。

 これもまた語弊を招きそうだが、僕はマイノリティ即ち配慮すべき存在という考えには異を唱えている。配慮しなくてよいと言っているのではなく、「一般にマイノリティに配慮しなければならない」という考えに反発しているのである。

 そもそも、マイノリティへの配慮をするということはどういうことか。初対面の相手に対しての配慮を考えると、相手が外見どおりの性質を持っていると考えずに様々な可能性を鑑みて発言や行動を選択するということであろう。一つ二つのマイノリティに配慮するのは簡単だが、無数のマイノリティに配慮してしまっては何も言えなくなるだろう。雑な例えではあるがフレーム問題みたいなものだ。

 それに、ある分野でマイノリティである人もそれ以外の分野ではほとんどマジョリティに属しているだろう。その人が自分の扱いを改善するために”マイノリティへの配慮を”と願い、それが叶ってしまったとしよう。その人は確かにマイノリティが受ける苦痛は受けなくなるかもしれないが、それと同時に無数のマイノリティへの配慮という義務も付随する。それを背負いきってでも自分の待遇改善を叫べるのだろうか。僕はそれが疑問である。

 

 昨今、何か色々とマイノリティが結集して頑張っているようで、同性愛者やトランスジェンダーなどに配慮する流れも生まれていて、それは結構なことだと思うけれど、それを一般化してマイノリティに配慮するのが当然というところまで話を持っていくのは危険だと思う、というのが大体の言いたいことです。コストに見合わない結果しか得られないのなら配慮すべきではない。バランスが大事。嫌なのは分かるけど君も多くの面で気づかないうちにマジョリティ攻撃してるんだよ。

 あと言うタイミング逃したのでここで言いますけど、「とりあえず○○にだけでも配慮してくれ、他のマイノリティについては知らん」って意見が結局自分勝手なようで尤もだと思います。結集できるほどの人数とエネルギーがあるマイノリティだけ改善されていけばそれでいいんじゃないですかね。何か神の見えざる手みたいですね。資本主義的って怒られそう。許して。

171001

 酒を飲むタイミングが分からない。毎日飲むほどのものではないのだが、たまには飲まないと寂しい。でもそのたまにってどうやって決めるのだろうか。

 頑張った日やストレスの溜まった日だろうか。僕にはそれが分からない。今日は飲む気がしないけど近いうちに飲みたいな、という日ばかりが続いて気づけば禁酒一ヶ月となってしまう。

 酒だけでなく、たまにしたいけれど毎日ではないものはやはり全くしなくなってしまう。お絵かきとか、読書とか、ブログ投稿とか。たぶんそれには前日までどれだけどの行為を行ったかを参考にして何をするか決める(昨日はお絵かきをしたから今日は勉強をしよう等)のだろうが、僕には昨日までの記憶が希薄なせいで日ごとに行動を変えるということがやりづらくなっているのだと思われる。

 もしかしたら自閉症というのが関わっているのかもしれないな、とも思う。自閉症の特徴として規則的な生活を好む、というのがあるらしいが、それは言い換えれば不規則な選択を行えないということかもしれない。○曜日は酒を飲む日、とか作るといいのかもしれないですね。面倒くさいのでしませんが。そこまでする気はないってことは本当は大してお酒が好きなのではないのかもしれないですね。

 んー、分からなくなってきたので寝ましょう。適当に書けば1000字くらいは稼げると思ってたけど半分くらいしか行かなかったですね。あ、なんかいい対処法知ってる人は教えてください。

半生記

 こんにちは。今日は僕のこれまでの人生について語ろうと思います。自分について何も明かさない人が人から好かれるはずがないと何となく感じたからです。自分を臆さず曝け出せる人になりたいからです。全部曝け出すのは何か違う気もしますが、気にしません。今日は自暴自棄の日なので。

 

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FireflySimulatorについての説明と考察

 こんにちは。寒いですか?京都は寒いです。風は通さないけれど温度はガンガン通す壁というのは壁としての機能を保っていると言えるのでしょうか。ギリギリなラインだと思います。

 

 今日は蛍の同調現象についてのお話です。皆さん蛍は見たことありますか。僕は2年前に見た気がするのですがどんな感じだったか忘れてしまいました。どうやら蛍はランダムに光るのではなく同調するのだそうです。その同調現象は昔から有名な一方で、どういった方法で互いに同調しているかはまだ分かっていないそうです。これを聞いて興味をもったので蛍がどんなアルゴリズムで動けば同調するのかを調べてみることにしました。僕はモデル化が好きなのでとりあえずモデル化をしてどんなアルゴリズムならちゃんと同期するのか必要条件だけでも調べてみることにしました。

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低温調理のお話

 どうも、こんにちは。前回の記事から中三日という短いスパンです。すごいですね。ブログの当初の目的としての「自分の考えを書く」から料理を挙げるブログに変わりそうです。そもそも僕は考えを文字に起こすのが苦手なんだということに最近気づきました。どうしようもないですね。

 

 さて、先日、小林銅蟲氏の漫画「めしにしましょう」1巻が発売されました。めでたいことです。あの人は少しずつ一般向けっぽい漫画が描けるようになっていますね。小林銅蟲っぽさは残ってるからすごいです。頑張ってほしい。

 で、その漫画の中には低温調理という調理法が3度も出てきます。低温調理とは、60弱~65℃を保った湯の中に肉を放り込んで数時間以上放置するという調理法です。もともと興味はあったのですが、この漫画でしつこく登場したのが決定打となって非常にやってみたくなり、色々方法を探し漫画に出てきたローストビーフを調理してみることにしました。(この話は第1話なので無料で読むことが出来ます。)

www.moae.jp

 

 

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ビーフカレーを作りましたというお話

 こんにちは。ブログ記事の最初の1文字が「こ」だった場合、続く言葉の74%は「んにちは」だという研究結果が出ているそうです。この話は今作りました。多分12%で「んにちわ」8%で「んばんわ」あたりと思います。

 

 さて、昨日どのスーパーがどういった品揃えで、どういった価格設定なのかを色々調べていたわけです。肉屋にも行ってみました。ラムチョップを見つけたんですけどg500円もするんですね。自分が良く行くスーパーの良し悪しが分かってよかったです。やはりものは相対的に見なくては。

 で、京大生におなじみグレースたなかの肉売り場にてこんなものを見つけました。

 

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 牛肉がg100円。ヤバイ。あの贅沢品で有名な牛肉が。お手軽に。見た瞬間に衝撃が走り、脳が数秒演算した後、カレーを作ることが確定事項となりました。あまりの安さに帰り着くまで不安症状かのように動悸と言葉にならない呻き声が止まらなかったです。(ただ、聞くところによるとグレースたなかではときどきこの価格になるそうです。)

 それで、カレー粉やスパイス数種もあることだし市販のルーを使わずに作ってみることにしました。レシピ本にあるビーフカレーのレシピとクックパッドで見つけたガチっぽいレシピ(http://cookpad.com/recipe/3614878)を参考にしつつ出来るかなと。

 

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「蜜のあわれ」を観て

 初めに言っておくと、これは映画「蜜のあわれ」の感想、レビューなどではありません。この映画を観て心に浮かんだものを書きつづったものに過ぎず、あまり内容とは関係ありません。

 

 先日、僕は藍鼠として初めて映画館へ行きました。藍鼠さんはそこで何らかの感慨を抱いたようで、映画館からの帰りに考えを整理するために長々と文章を書きながら帰りました。

 そもそも思考の整理用、つまり自分のために書いた文章ですし、加えて当時は思考の多くを無意識が占めていて要領を得ない文体になりましたが、なんとなく公開しようと思ったので公開します。

 

 

 上映が終わった。内容ははっきりと覚えていない。金魚やおじさまがどのような人物だったか、原作との相違点、それどころか自分がどのような感想を抱いたのかもよく分からない。唯なにも分からないという気分とそれに付随する不安感が残っている。だが何とか内容を思い出して感想を綴ってみようと思う。

 初め、金魚は何にも染まっていない、あどけない無垢な少女に見えた(ような気がする。要ははっきり覚えていないのだ)。それを見て僕は、これは少女のイデアにかなり近いなと感じた。理想像に近すぎて現実感がなかったのだが、映画なのだからこれくらいがいい塩梅なのだろうな、と感じたのを覚えている。

 その後は色々な人間が出てきて、色々な言葉を発していった。その内容は詳しく覚えてはいないのだが、それを理解できない不安からジーンズを強く握りしめてしまったことは覚えている。

 金魚は色々な人間に出会い様々な経験をしていった。彼女は世界が自分の好むようにはならないことを知り、フラストレーションを覚えていったように僕には見えた。だがそれは僕が彼女に自分を重ねすぎているからなのだろうか。それもまた分からない。私を不安にさせていく。

 話を戻そう。後半、金魚がおじさまと口論をするシーンが何度か見られる。そこには完全だった少女は居ない。金魚もおじさまも、感情的になり、醜く自分勝手なことを口走っていた。しかし、僕は何故かそこに美しさのようなもの(名状しがたい気持ち。美しい、尊い、愛しさなどいう表現が近い気がするが微妙に違う気もする)を感じた。人間が駄目なことを嘆いているいつもの僕とは明らかに違う。その不可解な経験を反芻しているうちに思い浮かんだのは「桜は散りゆくからこそ儚く美しいのだ」という言葉だった。少女もまた、永遠に少女ではないからこそ美しいのだろうか。それとも、それはまた別のイデアなのかもしれない。というのも、同じ美しさを僕はおじさまにも感じたからである。彼らは愚かであったが、しかしそれでも生きていこうとしていた。そこに僕は何かしらの美しさを感じたのをかもしれない。人間は不完全な存在なのであり、ゆえに僕が完全でありたいと望むのは間違っているなどと考えたような気もする。(気もする、というのはその辺りの記憶は曖昧で、類推によって補っている部分もあるからである。)

 そうこうしている内に幕が閉じた。照明が明るくなったとき、僕は自分が自分でもよく分からない感慨を抱いているのを覚えた。丁度夢から覚めたときのように、その感慨が存在していることから何かしらを体験したことは確かなのだが、何を体験したかは分からなかった。本当はその場で自我が曖昧な時間をもっと過ごしていたかったのだが、退出を急かすかのように清掃員が入ってきたので僕は現実に引き戻されざるを得なくなってしまった。それが少し残念である。

 そして今、僕は自転車を押しながらこの文章を書いている。一時間以上経っているから5kmは歩いたのだろう。何とか思考を絞り出しては見たが、要領を得ていない文章になってしまった気がしてならない。無意識的な部分を書きだそうとしているので当然ではあるのだけれど。

 総括すると、初めての映画館は良い体験になったものと思われる。僕が失望してはいないことから、1,500円を払う価値はあったと考えていると推定できるし、このように意識を排除した思索もできた。また何か別の映画を観に行ってみたい。