天才猫耳少女の手記

何の気なしに生きていく。

ポケモン盾をクリアしました

 ちょっと遅れたけどポケットモンスターシールドをプレイしてクリアした。これまでのポケモンと色んな意味で大きく違う良いゲームだった。書きたいことが多いし、ツイッターに書くとネタバレだったり未プレイの人のお目汚しになりそうなのでブログに。ネタバレ含むよ。

続きを読む

200206 人の顔が見れない話

 この前人に指摘されて初めて自分が人の顔を見ていないことに気付かされた。正確には自分が人の顔を見れてないことは知ってたけど、思ってたよりずっと見ていなかった。
 自分では見ているつもりだった。意識してこの癖は直したつもりだったので。でもメタで自分を見てみると、人が話しているときにはたまに目を見るけど、自分が話しているときには人の顔が見れていなかった。記憶を探ってみても人の目を見ながら話している記憶がない。

 

 というか、人の目が見れないというより人に見られていることが耐えられないのだなということが分かった。目を見て話すのも、人が僕の顔を見ていなければできる。(そんなシチュエーションないし、それは「目を見て話す」ではきっとないのだけど…)


 つまり、「人の顔が見れない」のではなくて、「自分が見られてしまうのが耐えられない」のだ*1。それは根底では僕の自己肯定感の低さとも関係しているし、表層では自分の映ってる映像や自分の作品が見れないことにも関係している。
 思い出してみれば不登校の頃から自分の写真が見れなかった。指導教員にしてもらった卒論の添削も見るのにエネルギーが必要だった。ザ・ノンフィクションに出た時の映像も未だに見れない。今は写真なら大丈夫。自分のイラストもOK。自分の言動は無理。あとスミレの動画もダメ。

   
 自己肯定感が高いフリして誤魔化してたけど、いつかはちゃんと自分を見据えなきゃいけないんだよね。自分を見据えたい。自分を嫌いでもいいけど、見据えた上で嫌いって言いたい。でもどうやってやればいいの?わかんないよ。
 オチなし。おわり。今日の記事はscrapboxで執筆したのでいつもより短め。今後もscrapboxを使うかもしれない。

*1:話すときには話すので精一杯で人の顔を見る余裕がないというのもありそう

受動的な振りをして相手を操作する似非マゾ男が心底気持ち悪い

 この記事はサークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2019の3日目の記事です。よかったら他の記事も見てあげてね。あと何気にまだまだ登録できるから良かったら登録して記事書いてほしいな。

 昨日(2日目)はsilloiくんの「感情会計学各論」でした。

silloi.hatenablog.com

---------------------------------------

 

 どうもこんにちは。藍鼠です。サークラアドベントカレンダーも三回目ですね。過去二回の記事もよかったら見てね。不登校の話と個人的な宗教の話をしてるよ。

circlecrash.hatenablog.com

indigomou5e.hatenablog.com

 今回はタイトルが攻撃的です。ごめんね。タイトル通り個人的な嫌悪の気持ちをぶちまけるだけだから苦手な人は帰ってね。でもこの気持ちが今の僕の拗らせであり、僕の今を語る自分語りにもなるから、もしよかったら聞いてほしいな。

続きを読む

191127 神さまを見た記憶の話

 ‪子供のころ、神さまを見たことがある。

 

 中学生のとき、まだ不登校だった中、祖父母に連れられて、山の中の大きな大きな吊り橋を渡った。閉じこもるばかりの僕を心配してのことだったのか、色々なところに連れられてまわった。

 そこは日本一大きい吊り橋だったらしく、本当に高くて遠くまで見渡せた。田舎というか山中なので肝心の景色は山と木々ばかりで、冬だったから色も彩度の低い終わりのような色だったのを覚えている。あと風がめっちゃ強くて寒かった。

 吊り橋が長い分谷底も深く、真下の川が見たこともないくらい遠く小さく見えた。身を投げれば間違いなく命を終えられそうだなと思った。僕には命を失えそうなところでは‬身を投げ打つ想像をしてしまう癖みたいなものがあって、その時もフェンスを乗り越えて谷底へ落ちていく自分の姿を思い浮かべた。半透明な自分の姿は落ちていく中小さくなり、見えなくなった。(このような想像をするときはなぜか三人称視点になるのだ)

 妄想を終えて残りの半分を渡ろうとしたとき、谷底からさっき落ちていった自分が飛んできて、僕の頭上高くに上がり、また橋の上に落ちた。誰かが谷底から投げ返してきたのだろうか。別に半透明の自分を置いていってもまた突き落としてもよかったのだけれど、せっかく戻ってきたのだからと自分の像を抱き寄せて胸に仕舞い込んだ。

 帰りの車の中で僕はこれを神さまの行いと見ることにした。別に妖怪でも幽霊でも妄想でもなんでもよかったけど、雄大な自然の中にいたのだからなんとなく神さまだと思った。神さまが命を粗末にするなとメッセージを送ってきたのかもしれない。もしくは橋からゴミが捨てられるのに怒って投げ返してきたのかも。どっちにしろ、神さまだとするならこの僕の一部は神さまに触れたってことで、ちょっとだけ特別な気分になった。神さまに触れた肉体を捨てたくなくて、しばらくは自殺する自分を眺める癖もやめた。いつの間にかまた癖が戻って今ではまた電車を待つたびにやっちゃってるけど。

 

 というようなことを、ハチクロで登場人物が「小さい頃、一度だけ神様を見た」と言っているのを見て思い出した。‪█‬‪█‬さまが僕に影響を与えたのは覚えているけど、スケールの小さい同じようなことがもっと昔にあったのだ。

 この神さまは‪█‬‪█‬さまとは違うし、藍鼠が生まれるより五年も前の出来事だったけど、今の僕を形成する原始の出来事だったのではないかと今では思う。少なくとも、今のところ自分に呪いを掛けた一番古い記憶はこれだ。呪いといえるかどうかもちょっと曖昧だけど。

 今またあの吊り橋に行ったらどうなるのだろう。また妄想で身を投げて、投げ返されるかもしれないし、二度目はなくて今度は殺されるかもしれない。もしかするとそこでは希死念慮がもう働かないかもしれない。

 何気にあれからもうすぐ十年が経つ。あの呪い(もしくは邂逅)が僕の人生をいい方向に変えてくれていればいいなと祈りを重ねた。

一人暮らししたいという話

 10月に放送されたザ・ノンフィクションを観た。phaの特集第二弾のやつ。フロントラインもちょっと噛んだのでDVDが送られてきたんすね。せっかくなので住人と。*1

 phaがシェアハウスを閉じて一人暮らしを始めたシーンで、住人が「藍鼠も一回一人暮らししたら?」と言った。その時は軽く聞き流したけど、後々からそれはとても正しい指摘な気がしてきた。

 

 シェアハウスやってる周りの人間がずっとシェアハウスを続けているという例は少なく、みんなあるときにシェアハウスから離れて一人暮らしを始めてしまう。卒業、というとシェアハウスが低次元なようであまり好きではないが、シェアハウスはいつか卒業するものなのだろうな、とは思う。

 人間がたくさんいる家は楽しいし、刺激も受けられるけど、刺激だけでは人は前に進めない。シェアハウスは一人で思考をぐるぐるさせて自分を練り上げていくのには全く向いてないから、足踏みをしている感覚は否めない。食材だけは豊富に集まるけど調理する時間が無くて溜まっていく(悪いときは無為に腐る)ような。

 

 まだ僕はシェアハウスを卒業する時ではないような気はするけど、それでも一度一人暮らしをして、一人で深く潜って自分探しをするべき時期は来ているんだろうな*2。僕は大学来てからずっと吉田寮とシェアハウスにしか住んでないから、一人の時間ができればずっと考えを進めてしまうような気がする。変にスパイラルに陥ってうつ病とかになる危険性もあるけど、賭けとしては十分アリかな。あとはvtuberとか漫画とか創作に打ち込みたくなってきているから、それに集中できる環境も含めて。

 

 話からは少しずれるけど、自分の部屋も作りたいよね、、

 壁に絵掛けて、ポストカード飾って、ドールハウス置いて、中や周辺を小物で飾って小人と暮らすまで(もしくは自分が小人になるまで)の準備をして、集中するときのための間接照明を置いて*3、観葉植物とか育てるのもいいな、、書いてて思ったけどこれはほとんどもうやってるや。もしくはやろうと思えば可能。結局ドールハウスを置く場所(とお金)が欲しいだけでは。。

 

 オチ無し。結局一言でまとめれば作業に集中できる環境が欲しいという話ですね。最近は深夜に公園のジャングルジムに登ってスマホとワイヤレスキーボードを使って執筆してます。できればもうちょっと気軽にできる作業環境が欲しい。お金があれば喫茶店行ってもいいんだけどね。。金くれ。

*1:藍鼠もちょろっと出た。インタビュー的なの受けたけど、phaとかと違って話すの下手だなって思っちゃった。年を取れば取得できるスキルなんすかね。

*2:話外れるけど、自転車とかで遠くに旅行したりする方が「自分探し」のイメージが強いよね。僕はその感覚はあまり分からないけど、そういう人はたぶんいるんだろうなって思う。あとはずっと家に引きこもってる人間にとっては遠くまで行くことが環境を大きく変えることになるってことなのかな。

*3:見た目の環境を変えることはモードを変えるのにかなり有効

190918 責任、呪い、サキさま

 あー。苦しい。ウーッ。泣かせてくれ。最近ずっとこんな気分。ここ一ヵ月の「死にたい」発語回数はだいぶ増えた。

 

 数日前、Vtuberの動画を投稿した。初めてのゲーム実況。今回はそれ以外にも初めての取り組みが多かった。キャラクターに憑依するだけでなく憑依した先の第三者も想定しての発話。即自の反応が求められるリアルタイムな実況。ゲーム初心者を意識した動き。長時間の録画から必要な場面だけを切り出すカット編集。ついでに効果音などの新しい編集技術。

 これらが組み合わさって思ったよりも大幅に動画完成が遅れた。単純に動画の時間が長いというのもあるだろうが、それを考慮しても遅い。そもそも投稿頻度も月一以下だし、8月には終わらせるはずだった人間さんのモデリングもまだ終わっていない。ユーチューバーに必要なのはコンスタンスなコンテンツ提供だというのは分かっているが、それでも速度が出ない。性分かな。

 動画制作というのは常に判断力が必要になる。想定してたように撮影が進むことはほとんどない。カメラが動かせない、役者のキャパシティーが足りない、映したいものがカメラ内に収まらない、など。とにかく様々な理由でトラブルが発生する。そんなときに、制作時間、気力、作品の質などを考慮していかに対処するか、これが本当に難しい。特に先述の通り動画投稿をいつまでも引き延ばせないので完璧な作品と制限時間(締め切り)の両立はほとんど無理で、そのバランスには常に悩まされる。判断が正しかったか常に問いかけられて苦しくなる。

 

 7月前半はずっと豚ひれかつ合同2に寄稿する絵を描いていた。おそらく豪華なメンバーが多数参加するレベルの高い合同誌なので本気で取り組んだ。たぶん一週間は作業していたと思う。長く作業していると自分の絵の出来が分からなくなるもので、完成した時にはもう良いか悪いか判断できなくなっていた。これは今でもそう。

 完成して寄稿したはいいものの、それ以降うつ病モードに入って未だにその合同誌を開けていない。自分がページを無駄に食いつぶしてしまったのではないかという自責に耐えられそうになくて怖い。気分が上がって「おれの絵最高!」モードになったら開こうと思う。

 というか描いている間からつらかった。締め切りと描かなきゃいけない責任感を常に背中に感じながら描いていた。もしかしたらそのせいで全力が出せなかったかも。今もこう思ってしまうくらいには自信がない。

 

 今さっき、進撃の巨人の期間限定無料キャンペーンでマーレ編だけ読んだ。すごい作品だと思う。あんまり全貌見えてないけど。見えてないけれど何度も読みこめばどんどん見えるものが広がりそうな感覚がある。

 当初はマーレ編なんて描く気はなかったのだろうけど、人気がどんどん出て書かざるを得なくなったのだろうなと思う。話を膨らませて、存在しないはずだった伏線を過去の話から強引に作り出し、何とか書き上げたのだろう。(それでもちゃんと面白い作品描けてるからすごいですね。)なんか最近どの作品見てもこういう作るときの気苦労みたいなのが見えてつらくなる。

 あとちゃんとキャラクターの心情とかそれぞれの人間の動きを描けてるのは本当にすごい。僕もVtuberでスミレや人間さんの過去や思惑について考えているけれど、その人数でもなかなか進まないので。数を踏めばうまくなっていくのかな。じゃあやっぱり下手でもいいから作品数を重ねていかないと。

 

 結局、今調子が悪いのは自分の背負った責任に耐えられていないからなんだと思う。期待を受けて、ある期間までにできるだけいい結果を出すということが非常にストレスに感じてしまう。特に「もっといい作品を作れたのではないか」という後悔が強い。これも何度も繰り返していたらいつか慣れるのだろうか。こっちはあんまりそんな気がしない。

 

 何でこんな苦しいことしてるんだっけ。Vで成すって決めて動画を投稿し始めたからだ。始めたんだからちゃんと動かしていかなきゃいけないんだ。

 でももっと理由を掘ってみる。動画を投稿したのだって(もっと言えばモデリングの時から日誌を公開していたのだって)そうすれば自分が逃げられないって分かっていたからあえて踏み出したのだ。

 ではどうして踏み出したのか?たぶん何もしていない自分が許せなかったからだ。藍鼠がよく言う「淀みたくない」というやつ。根元まで掘っていくと不登校時代の強すぎる自己嫌悪に辿り着くと思う。常に自分が嫌いで変化を求めて、不登校時代どころか大学入学当初と比べてもだいぶ性格が変わったけれど、それでも今も自分が自分であることは赦せていない。

 たぶんこれは呪いで一生付き合っていかなきゃいけないんだと思う。藍鼠が自分を赦したら次の原動力見つけるのに時間がかなり掛かりそうな気もするし。誰かに赦してもらうことも別の呪いで今のところ不可能になっているのだけど、都合よく僕にはサキさまもいるしおそらく大丈夫でしょう。サキさまは僕を赦してくれたりはしないけど僕が真面目に生きて自分を構築できればその人生を消費して意味を与えてくれるので。*1

 

 みたいな考えを止められずにちょっと苦しんでたら七夕の時に自分が書いた「みんなが自分の性質に合った生き方を見つけられますように」という短冊が目に入って、自分を赦せないという呪いを強引に解いたりせずにサキさまを生活の中心に据えて適応していく生き方でいいんだなと励まされてしまった。やっぱり藍鼠ぜんぶ分かっててすごいな。

 自分が逃げられないように足を踏み出して進み続けるのも適応だし、そういう生き方をすると決めた以上前に進んでいくしかないんだよな。サキさまにも喜んでもらいたいし。再確認したので明日からまた生きていける。最後に宣言して気合い入れるやつやるか。

 

 サキさま、この生をあなたに捧げます。

*1:ところで真面目に生きていればという条件付けが淀みを嫌う藍鼠らしいですね。いや、サキさまもちゃんと構築された人生を壊す方が好きなんだろうけど。

190805 スマブラで勇者にハマって五日で飽きた

 こんにちは。ついにスマブラに2体目の追加ファイター、勇者が来ましたね。僕にはもうトゥーンリンクルフレもいるので遠距離剣士キャラにはあんまり興味なかったけど、とりあえず使ってみたら意外とハマってしまいました。

 攻撃の出の遅さと激しいMP消費の代わりに強力な武器判定のある格闘とバーストの強い魔法。加えて下必殺のコマンド技は瞬間的な判断が必要となる代わりに相手には何が来るか予想が付けられないとくれば完全に藍鼠好みのキャラです。特にコマンド選択が楽しくて追加されてから何度も何度も使い続けました。勝率もメインで使ってるキャラと遜色ない程度にはあり、ちゃんと練習してメインキャラとして据えようかなーと思っていました。今さっきまで。

 

 別に勇者が楽しくないわけじゃないんですよね。やっぱりコマンド選択で相手の意表を突くのは楽しい。でもその楽しさはコマンドを適切に選択できたことによる報酬であって、相手の存在が全く関係ない。せっかくスマブラでコミュニケーションしてるのにずっとコマンド選択だけに集中して相手を見ないでいると、勝った時は楽しくても一時間後とかにひどい空虚感が襲ってくる。数時間も独りよがりな遊びに費やしてしまったって感じで。あと相手を読んで勝つのではなく難しい勇者を使いこなして勝った感じがするのもきつい。

 麻雀やってる時にも近い感じがして、だから麻雀もやらなくなったんですよね。自分の手の効率や他人の捨て牌ばかり見て、せっかくのボードゲームなのにコミュニケーション感が残らないから、終わった後に楽しさを上回る後悔が強く残ってしまう。藍鼠は他人とのコミュニケーションが好きな寂しがりやなので。。。

 

 まあそんなわけで、勇者使いまくって鬱病になったので使うのやめました。これからはコミュニケーションで生きていきます。イカちゃんで格闘という名のコミュニケーションやるのたのしい。